2019年01月21日 00時29分

フィクションに潜む作者の影

sono

角田光代 「紙の月」

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主人公の梅澤梨花は、不倫相手の年下の貧乏学生のために、パート先の銀行から一億円を着服するという罪を犯してしまう。

今回で終わりにしようと何度も思うのだが、次第に金額もお金の使い道もエスカレートして行く。終いには、自分にお金がなかったら彼は一緒にいてくれないのではないかという不安にも取り憑かれて行く。

梨花の歪んだ愛情表現の原因は、高校時代にある。彼女が通っていた高校は、発展途上国の恵まれない子供たちに寄付活動を行っていた。その中で彼女は、受けるよりも与える方が幸せだという考えに行き着く。誰かのためにお金を与えることが、梨花の「しあわせ」になったのだ。

「紙の月」は、宮沢りえさん主演で映画化もされた。逢瀬用に高級マンションを購入し、幸せいっぱいだった頃の彼女は、社会的に悪いことをしているにも関わらず、とても生き生きとしていた。彼女はお金を使うことで、マンションや旅行といった物理的なものだけでなく、不倫相手の愛をも手に入れていたのだ。

この本の中で、作者の角田光代さんは、「お金を介在してしか恋愛ができ」ない女性を書きたかったのだそうだ。(引用元 https://tvfan.kyodo.co.jp/news/49961)「しあわせのねだん」はその角田さんが書いたお金に関するエッセイ!作品の根底にある作者のお金に対する考えが分かるのであれば、非常に興味深い。

本に限らず芸術作品はどれも、作者の生き様を反映しているものだと思う。故人であれば遺された日記や手紙、最近であればブログなどからその人の生き様を垣間見ることはできるが、作家が読まれることを前提にして書いたエッセイは、どれだけ楽しいことだろう…!

この本だけでなく、角田さんは自分から遠く離れた境遇を物語にするのが上手い作家だ。「八日目の蝉」では他人の子供を誘拐した女性を、「予定日はジミー・ペイジ」では自身に妊娠経験がないにも関わらず、新米妊婦の一喜一憂がリアルに描かれている。フィクションならではの現実と虚構の境目の曖昧さに、心を掴まれること間違いなしだ。

##角田光代


この書評のリレー元書評:




2019年01月17日 14時34分

ゆたかさについて

宮田泰盛

角田光代「しあわせのねだん」

「ゆたかであるというのは、お金がいくらある、ということではけっしてないのだと、その人を見て知った。そういう意味で、まずしいまま年齢を・・・

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