2019年01月17日 05時34分

ゆたかさについて

宮田泰盛

角田光代 「しあわせのねだん」

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「ゆたかであるというのは、お金がいくらある、ということではけっしてないのだと、その人を見て知った。そういう意味で、まずしいまま年齢を重ねることが、私はとてもおそろしい。」この本の最後に書かれているこの一文を読んで、私はギクッとした。自分のことを言われている気がしたのだ。大学2年生の2月、東京から山口に、新幹線で帰省している時のことだった。

先ほどの文で筆者が指していた「その人」とは、「何にもお金を使わなくて、貯金額だけが異様に高い人」のことである。筆者は20代の頃、仕事もお金もあまりなかったが、飲み会だけにはお金をケチらなかった。ああでもない、こうでもないとお酒を飲みながら議論を交わす。答えは出ないのに、仕事、恋愛など、議論をして自分なりの答えを出すのが好きだった。そして、40代になって、20代の頃の家計簿を振り返ると、飲み会にだけはしっかりお金を使ったことが記録されていた。当時はお金もなく大変だったが、自分の好きなことにはお金をかけた結果、今の筆者があるのだと実感したという。

大学2年生の2月、これから3年生になろうとしていた20歳の私にとって、40歳はまだまだ先のことである。しかし、この本を読んで、「このまま行くと、空っぽの人間になってしまうのではないか」という危機感を覚えた。なぜなら、私は好きなことがあっても、お金を使うことを非常に渋るタイプであったからだ。例えば、自分がどうしても欲しい服があった時。「買いたいな〜」と思っても、値札を見た瞬間、「ちょっと高いな…買うのやめよう」と思い、結局自分が欲しい服を買わないことが多かった。また、旅行に行きたかった時。「楽しそうだな〜」と思っていても、実際に料金を計算すると「高いな…やっぱり行くの我慢しよう」と何度も思い、実際に旅行に行くことは少なかった。その一方、お金をためていることにどこか満足している自分がいた。

私の中で、ゆたかであるというのは、お金をたくさん持っていることだと思っていた。しかし、この本を読んで、ゆたかさにも種類があり、内面の豊かさを積み上げることで幸せになれると気づくことができた。「お金がある=豊か」ではないと実感するためにも、お金だけに拘らず、内面の豊かさを重視していきたい。

#お金

#価値観

#生き方


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