2018年12月04日 06時18分

1/8秒のアウラを呼吸する

JoJo

岡田斗司夫 「オタク学入門」

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『彼はなぜ「アウラ」を言うのか』を拝読して、仰々しいアウラの概念をそこまで明解に説明できてなるほどと論理的な理解が働いたと同時に、私なりのアウラを探し求めはじめた。<いま・ここ>で、一回しか訪れない瞬間は、オフラインだけだった格ゲーにこそあると我なりに納得した。この間合い、このタイミング、このモーション、間違いない、今こそ起死回生の時、ステック三本を使い壊してまで練りあがった我が昇龍拳を、喰らいあがれ!「昇龍拳!!!」を叫びながら隣に座っていた幼馴染と真剣勝負していたあの瞬間、私の周りにはアウラが満ちあふれていたかもしれない。

 超人的な動体視力で瞬間のアウラを追い求めていた人たちを記録した本があった。『オタク学入門』が描いたオタクの進化の図式は、現在となって批判されることが多いようだが、オタクの誕生がはるか昔のように思える現在こそ、イメージを求めて「進化」するオタクたちの記録としての価値が現れて来ている。

 『オタク学入門』の中に、「オタク原人」と呼ばれる可愛らしい「種族」が出てくる。かつて、1/8秒しか留まらないイメージを必死に目で追っていた人たちだ。ビデオデッキがまだ普及していなかった時代、テレビに映るアニメも、特撮も、一回しか現れて来ないものだった。彼らはアニメを見ながらノートを取り、8ミリカメラで画面を写真に撮っていた。平成生まれの私には、とても想像のつかいない努力だった。まるで大学の講義ではないか。目の前にあるストップボタンのありがたさを、生まれてはじめて知った瞬間だった。

 ストップボタンを持たない「オタク原人」たちはテレビから、<いま・ここ>でしか現れない何かを必死に求めていたに違いないのだ。『彼はなぜ「アウラ」を言うのか』であげられた例に沿って書くと、観光客が「美しい」や「神聖だ」と感じるとき、それがアウラを呼吸する瞬間なわけだが、そういう時、カメラでこの瞬間を残そうとする衝動も一緒に襲ってくる。「オタク原人」たちにとってはきっと、この1/8秒の中に、空間と時間から織りなされた不思議な織物が宿っているに違いない。

 そして彼らはノートとカメラを手にした、二度と戻ってこない1/8秒を複製するために。しかし、アウラは取り返しのつかない形で凋落している。ビデオデッキが登場しても、録画とリアルタイムの視聴は何かが違う。「俺は『天空戦記シュラト』をリアルタイムで見てたぞ」従兄はいつも自慢げに言うのだった。同じ画面こそ見られても、平成生まれはあの時代のあの1/8秒の空気を味わえない、当たり前のことだ。

 数々の名作をリアルタイムで見られなかったことは確かに残念だが、私なりに輝いているように見える瞬間もある。蹴りが頭上に降りかかる直前の数フレームという瞬間でしか味わえない、対戦相手がすぐ隣に座っているという距離でしか現れない何かが、そこにある。そして、ネット対戦が日常的に行われている今となっては、その何かは、取り返しのつかない形で凋落してしまったに違いないのだ。「昇龍拳!!!」の叫びを受け止めてくれる相手が隣にいないと、この1/30秒の緊張感も味気ないように感じる。

 悲しいが、それもそれでいいような気がする。崇拝価値が後退しなかったら、展示価値も見えてこない。特別な1/30秒でも冷静でいられるようになってから、格ゲーの技量が進んだような気もする。

#1500字以下

#アニメ

#ゲーム

#ベンヤミン


この書評のリレー元書評:




2018年11月13日 08時01分

彼はなぜ「アウラ」を言うのか

藤島タカシ

ヴァルター ベンヤミン「複製技術時代の芸術」

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