2018年11月27日 07時41分

「聖地巡礼」の信仰について

藤島タカシ

木崎ちあき 「博多豚骨ラーメンズ」

/* */ /* CONTENT AREA */ /* */

「聖地巡礼」といえば、今年こんな出来事もあった。

「聖地巡礼」を調べてみると、いまの研究書ではだいたい「アニメやマンガなどのファンが、作品のロケ地を訪れる行事」と解釈しており、また近年では「コンテンツ・ツーリズム」としても認識しているそうだ。それを信じ込んでいた僕も、てっきりアニメなどのロケ地で写真を撮ったり遊んだりすることだなと思っていたが、「ああいうのは本物じゃないから、私が教えてあげる」と彼女に言われて、夏休み最中の一週間、九州まで「聖地巡礼」に連れていかれた。

僕の彼女は、「聖地巡礼」が趣味である。

どうやら世間では、「聖地巡礼」に行く人を、アニメやマンガなど「サブカルチャー」的な趣味に没頭し、現実社会でのコミュニケーションが苦手な人間、すなわち「オタク」と認識している人もいるみたいだが、彼女は別段そのような人間に当てはまるわけでもない。むしろ世界TOP5を誇る中東航空会社のキャビンアテンダントとして、毎年何万人の接客も気楽にしているし、中東やヨーロッパからの友達もたくさん持っている。僕も元アニメーターとはいえ、別に日本のアニメなどに没頭するほどの興味を持っているわけでもない。むしろ自動車でいろんな道路を走ったり、通りかかる観光地を見物したり、地元の美食を楽しんだり、そして彼女の写真をきれいに撮ったりするのが趣味だ。

ところが、彼女に紹介してもらった「本物の聖地巡礼」は、僕が認識しているのんびりした「ツーリズム」とは別物だった。朝は6、7時に起床し、8時に出発する。朝ご飯は車内で我慢する。「聖地」の近くについたら、なるべく早めに作品のBG絵そっくりの場所を見つけて記念写真を撮る。あまり時間をかかりすぎると、次の「聖地」を訪れる時間が減る。こうして「聖地」を次々と回すだけで丸一日が過ぎてしまい、次の作品「聖地」の町へ赴く。旅館についたら、もう深夜だった。熊本城や阿蘇山などせっかく近づいた名所は断念するしかなかったが、唐津城だけは『ユーリ!!! on ICE』の「聖地」として登る。

「車がなかったらもっと大変だろう」と、僕は嘆いた。

「そんなことはない。夜行バスで何とかするから」と、彼女が返事する。

「結局、聖地巡礼って何を楽しむんだろう?」

「楽しむなんかじゃない。苦行とか礼拝みたいなことだよ。メッカ巡礼と一緒だわ。」

 そんなことを聞いた僕は驚愕した。

 メッカ巡礼は、言うまでもなく一種の苦行である。そうすれば、彼女たちにとっては、「聖地巡礼」も「ツーリズム」とは別物であり、そして間違えなく苦行に似たような行事だろう。

しかし、メッカの巡礼者はイスラム教の超越的な言説に従っているならまだしも、なぜみんな宗教信仰を持つわけでもないファンたちは、こうして「準宗教」的な苦行を自ら望んで行っているのだろうか。

そんな疑問に満ちた僕は、その日「礼拝」した「聖地」の原作、『博多豚骨ラーメンズ』を読もうとした。

夜に、たくさんの人々が通りかかる博多のある橋邊の歩道で、表紙イラストのキャラクターそっくりに腰かけた、赤いスカートに黒いニーソックス姿の彼女に記念写真を撮ったら、この作品の表紙に引っかかれた。

男性的な妄想がたっぷり込めている普段のラノベ表紙とは違い、この作品の表紙では、なぜか男性みたいなキャラクターが何人も描かれているから。

「この作品って、ヒーロー(男性主人公)は誰かな」と、気まぐれで尋ねる。

「私と同じく赤いスカートをはいている人よ。」

「はっ?」

「この人、女装男子だから。」

「なっ!」

と絶句した僕。

なるほどこの作品は、主人公の一人である中国人の林憲明が、幼い頃貧困な家族を助けるために自分自身を売り、殺し屋として育ち、その後「人口の3%が殺し屋」の博多でいろんな地元の人と出会い、彼らに助けてもらった話だった。そして「豚骨ラーメン」といっても、あくまでも林とほかの殺し屋さんが組んだ野球チームの名前で、どうやらグルメの話ではなかったみたい。

しかし、僕が一番気になる疑問はどうしても答えを見つからなかった。

それは、林はなぜ女装しなければならないのか、という疑問だった。

ジェンダー論的に言えば、女性は男性よりずっと大変である。彼女は、毎日少なくとも2時間を出して化粧や「メンテナンス」をしなければならないし、毎月数万円の「水」や「オイル」を顔にかけないといけない。男性の僕は洋服を着るだけで仕事に出掛けられるが、彼女の場合は、たとえ眉毛の化粧を完璧にこなしていないでも、クルー同士の互いチェックで即座直すよう指摘される。もちろん彼女は職業の原因で一般の女性よりも極端に要求されているかもしれないが、女性は容姿が大事、という状況は確かに男性中心的な社会の残酷な現実である。

そういう意味で言えば、林はむしろ「勇者」だ。彼はあえて男というジェンダーの特権を自ら放棄し、「髭やすね毛はどうするんだろう」と心配されてしまうほど、いつも女性の姿として現れ続けている。一方、彼は男というステータスを捨てたわけでもない。例えば「林ちゃん」や「りんりん」とふざけて「愛称」されてら彼は正直不満を言う。「俺は男だ」と、そういう女性への男性的な視座に反発する。

古代エジプトやインドの宗教にも、女性と男性のステータスを両方有している神もいたような気がした。

彼女はもしかしていう男性のステータスを持つ女性像に憧れているのだろう。

「りんりんって凄いキャラだったな。」

「だって、声優はカジ(梶裕貴)だもん。」

結局アニメか!

#エッセイ

#紀行

#二千字以上


この書評のリレー元書評:




2018年11月13日 17時52分

小説の日常から私たちの日常へ

JoJo

越谷オサム「陽だまりの彼女」

 高校時代、いわゆる養分のない恋愛小説を好んで読んでいた。人生最高の一八歳を試験問題に捧げるのはたまらなく嫌だったからだ。とある社会・・・

続きを読む