2018年11月14日 02時52分

小説の日常から私たちの日常へ

JoJo

越谷オサム 「陽だまりの彼女」

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 高校時代、いわゆる養分のない恋愛小説を好んで読んでいた。人生最高の一八歳を試験問題に捧げるのはたまらなく嫌だったからだ。とある社会主義国の退屈極まりない受験勉強よりは、恋愛小説(全部ではないが)のほうが有意義に違いないと今でも確信している。ところが、受験勉強から解放されてからまた恋愛小説を読むと、案の定、高校時代ほどの情熱は二度と取り戻せなかった。一日中小説に没頭することができなくなった今は、ほかの仕方で小説を楽しまなければならないと思った。

 この悩みを解決してくれたのが『陽だまりの彼女』だった。文庫本の紹介文には「誰かを好きになる素敵な瞬間と、同じくらいの切なさも、すべてつまった完全無欠の恋愛小説」と書かれている。感動と涙の嵐を呼ぶ恋愛小説のようだ。実際に読んでみると、「完全無欠」なのかどうかはともかく、日常の中に非日常の瞬間を織り込むことや、多くの要素が備えているうえ、張った伏線も全部回収している点は確かに称賛すべきだ。ありふれたベタ甘な恋愛小説と差をつける力を十分に見せている。さらに、二〇一三年の実写映画化も成功を収めているので、小説を台無しにするようなこともなく、この作品は確かに映画と小説、二度楽しめるだろう。

 一言であらすじをまとめると、中学生の頃クラスの中で孤立された二人が、社会人になって再会し、新婚生活まで至る話だが、東京で会社勤めしながらの恋愛という題材は、日常の中に非日常の瞬間を織り込むのに適している。小説では電車で通勤するルートや駅構内の様子が細かく書かれている。学生時代鉄道マニアだった主人公は鉄道広告を携わる仕事についている。ヒロインとの再会もその仕事がきっかけである。そこで都市に通っている血管である鉄道は繋ぎ役として小説に現れる様々な要素と出来事を連結している。

 そこで、「二度泣ける」といわれるこの小説を読むには、周りを忘れて一日中没頭する必要はなく、自らを囲む環境を観察しながら小説を楽しむという方法もあるように思える。住宅街や小さな公園、駅、電車などを取り上げ、小説は物語の舞台を読者のいる環境に近づこうとする姿勢を示している。そのため、読者はその舞台と同じ東京にいることを念頭に小説を読むと面白いかもしれない。聖地巡礼する心構えはなくともよい、本を片手にとって、ただ主人公が乗っていた電車で通学するだけでも十分楽しめる。大江戸線、西武線、東西線、山手線、総武線など、「聖地」というよりは、ごく普通の通勤、通学に使われる電車だけだが、小説によって物語性を浴びることになるだろう。映画を見て、自ら「聖地」に赴き、作品の世界に身を投じることはもちろん素敵だと思うが、これとは少し違うような作品との関わり方が、小説によって示されている。自分を囲む日常から「聖地」を発見することで、自分の世界の変化を楽しむことだ。

 『陽だまりの彼女』をきっかけに、いつも使う電車に目を向けるといいかもしれない。エンジン音や時刻表まで研究しなくてもいい、小説を念頭において、ただ窓から見える通勤の風景や駅構内の雰囲気を味わうだけでも世界は違うように見えてくるだろう。

#感動

#日常系


この書評に対するリレー書評:




2018年11月27日 16時41分

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