2019年04月14日 04時36分

些細な警鐘、パーソナルな広告

Nanami Sudo

久保田晃弘、レフ・マノヴィッチ、きりとりめでる 「インスタグラムと現代視覚文化論」

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 私にとってインスタグラムは生活の一部のツールとしてなくてはならない存在になっている。レフ・マノヴィッチ氏は写真の視覚的文化という観点からインスタグラムというプラットフォームにおける写真論を展開している。彼の述べる記念写真としてのカジュアルフォトという意識がありつつも、表現の場として慎重に投稿している自分には気づいていた。インスタグラムの最大の貢献として撮影・加工・投稿が一本化されていることを挙げている本書の通り、手間が最小化された中でデザインする作業への費用が高まり、より自由になった。1:1の正方形が織り成すシークエンスの特性は、複数のイメージとの関わりを意識せざるを得ない新しい美的社会を生み出しており、ユーザーにもその感覚が備わりつつある。そしてこの美的社会の拡大普及は、個人的に非常に興味深いと感じている個人主体の商業空間にも発展している。

 『製品スタイル』という言葉が登場するように、フラットな空間に静物を配置しイメージを構成する技法は頻繁に見られており好感を得易い。また、それまで製品と共に象徴化してきた「有名人としての有名人」ではなく、「身近な存在としての有名人」あるいは「日常を一段階格上げしているように見える一般人」の2種の個人の物語の基盤に製品が乗ることで、共感を生み広告としても価値を上げている。私が危惧するのは、この低コストの甘い誘惑に企業が依拠してしまうと、結果として市場操作が誰にとっても困難なものになってしまうのではないかということだ。規模の小さいインフルエンサーを採用しゲリラ的にBUZZを作り出すことは、即戦的ではあるが長期的権力には値しない。製品を売り出す度に広告に適したメディア(アカウント)を調査し、複数採用し、決して直接的ではない表現で製品をPRさせる。非常に遠回りではないだろうか。その上消費者は、既にそれらが間接的な広告だと気が付いてしまっているのだ。

 私はまだ何故影響力の強いマスな製品やブランドが存在するべきかきちんと説明することはできないが、大きなバランスについて調査を進めればきっと明示的な考えであると信じている。そのために、データ・サイエンティストであるレフ・マノヴィッチのビックデータの検証には踏襲したい点がたくさんある。本書は視覚的文化という定量化しにくい要素において、明快でロジカルな見解を示すことに成功している。

#インスタグラム

#広告


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2019年01月22日 12時35分

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guro

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写真表現の中で、私の考える最も重要な事項は、それが生きているという証明を残すことである。動物であれば、それが生きているという証明、歴・・・

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