2019年01月15日 03時15分

物語の「価値」の行方

佐久間響子

神林長平 「言壺」

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私がこの小説を読んだのは二年前だが、二年経っても鮮明に思い出せる文がある。

「こんな時代もあったのかと、未来人はわくわくしながら読むだろうか。はなをかむのに利用するという世界なら、人間は夢を見るのをやめたのだ。」

──舞台は地球から陸地がなくなり、海にそびえ立つ超高層ビルに住むようになった遥か未来。このビルではほぼ全員が物語を書いて生計を立てているが、あらゆる読み物はデジタルでしか存在しない。そして、物語は自分の経験ではなく、「想像」で生み出すのが当たり前となっていた。

そんな中、主人公は「遺物」としてビルに流れ着いた陸時代の小説を読むことになる。その小説からは、主人公の生きる時代の物語にはない生々しさ、があった。主人公は生の体験に基づいた「小説」に興味を持つが、妻は一切興味を示さない。

その様子を見て主人公は、当初書く予定だった物語ではなく、この経験を書き記したものをハードコピーにして、海に沈める。いつか誰かに拾われるかもしれない、という意味を込めて。これが先ほど引用した場面だ。

個人ではなく社会の単位で、人間の言葉は変わっていくし、感性も変わっていく。今面白いと世間でもてはやされているものが、百年、いや数十年後には見向きもされないかもしれない。この一文には、物に、言葉に、価値がなくなることへの皮肉が込められていると思う。現に、主人公の生きている時代では既に「紙」の価値は失われているし、「生の体験」の価値も薄れている。さらに数十年後には「物語」も価値を失っているかもしれない。それでも主人公が「紙」という形で「生の経験」を綴ったこの本を海に沈めたのは、未来に一抹の希望を残しておきたかったからなのではないかと、私は思っている。

ここではこの本の中の『没文』という短編を取り上げたが、この本には「言葉」をテーマにした様々なSFが収録されている。言葉を書く人、読む人、全ての人に読んでほしい一作だ。

#SF