2018年12月20日 23時18分

現実と空想

土谷優衣

ハーラン・エリスン 「死の鳥」

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私は普段自分からSFを読もうとすることがあまりなく、とりあえず短編を読もうと思い探したところ「死の鳥」というタイトルが目に止まった。なんとなくこれにしようと決め、最初の話から読み進めたものの、内容が複雑でよく分からないというのが本音だった。そんな中でこの選んだ「おれには口がない、それでもおれは叫ぶ」はシチュエーションがわかりやすく、妙なリアルさがあって気持ち悪いがどこか惹かれるものだった。

戦争の最中に作られたコンピューター(本文では「AM」と名付けられている)が拡大され続け、AM自身が自分は何者であるかを知ってしまった。自律性を持ったAMは人間を皆殺しにしていき、最後に残した5人の人間をAMの中に閉じ込め、永遠の苦しみを与えている。その様子が閉じ込められている1人の男によって語られ、ラストにその男が他の仲間の救うためにある行動を起こす。

私が感じたリアルな気持ち悪さというものは意識と感情を持ったAMが起こす行動が原因である。AMは閉じ込めた5人の前に氷の洞窟を作ったり、イナゴを送り込んだりする。機械が作り出しているものであるからバーチャルに過ぎないのかもしれないがコンピューター内に閉じ込められている5人からすればこれらはまぎれもない現実となる。現代ではまだ現実と仮想の間には線が引かれ、区別されている。しかしこの物語のように自らが存在する空間が変わればその区別は自分の意識の中で曖昧となる。普通の世界での生活は夢となり、今目の前にあるもの、と自分が感じるものこそが現実として存在しているのだということが男の切実な語りから聞こえてくるように感じてくる。

またAMは人間に強い憎しみを持っている。自分を作り、好きに操ってきたことへの恨み。例えばAMは「囚われの身」という表現が出てくる。人間に作られたAMはあくまでAMの枠組みのなかでできることしかできないということだ。そしてAMは自身に対して強いコンプレックスを抱いているという描写も見られる。もし機械が意識や感情を手にしたら、その機械自身の姿、与えられた役割に違和感を覚え激しい怒りを感じるのかもしれない。今この文章を打ち込んでいるパソコンもそう感じるのだろうか、それとも私が気付いていないだけでもうそのような感情を持っているのかもしてない。

私は普段から空想癖があっていつか現実と空想の世界が分からなくなってしまうのではないかと考えることもある。それに通じるものもあるような気がしてこの物語に吸い寄せられたのかもしれないとふと思った。未来の技術は私の意識をこの空想をどうしてくれるだろう。

##デザインフィクション演習