私は、SF作品を映画で観ることはあっても小説で読むことはあまりなかった。今回の課題は文学作品から選ぶということだったのでネットで調べていたところ、『チャーリーとチョコレート工場』のサイトが目に留まった。小さい頃何度も観た作品だったこともあり、ストーリーが容易に想起されたと同時にあの頃感じたワクワクが私の中にこみ上げてきた。また、チョコレート工場内の描写はSF作品特有のファンタジー感が溢れていると思ったのでこの作品を選んだ。
今回読んだのは映画版『チャーリーとチョコレート工場』の原作である『チョコレート工場の秘密』という作品だ。ロアルド・ダールが1964年に児童小説として出版した。
物語の主人公は、チャーリーという少年である。ある日、チョコレート工場の工場主であるウォンカは自社のチョコレートの中に工場見学の招待券を入れて出荷した。それを当てたチャーリーを含む5人の子供たちは不思議な工場へと足を踏み入れるのである。
この物語は、チャーリーが券を獲得する経緯までは至極現実的な描写が続いて行く。しかし、チョコレート工場に入った瞬間、全てがお菓子でできた公園、チョコレートの滝、ウンパルンパという小人など、一気にSFの世界が広がりまさに異次元に来たかのような錯覚を起こす。そんなSF的要素が多くある中で、私がデザインフィクションの観点で評価した描写が二つある。
一つ目は、不思議なガムが出てくる部分である。そのガムについて、ウォンカはこのように述べている。「台所も料理も不要に。魔法のガムが一枚あれば、三度の食事が可能。スープと主菜、デザートも楽しめる。」実際に食べた女の子は、「本物のトマトスープを飲んでいるみたい!」「変わった!ローストビーフとポテト!バターの味!」と感動しているが、実際にそんなガムがあったらどうだろうか。私は、感性が貧しくなるだろうなと感じた。食というのは、ただ味を感じるためだけのものではない。見た目の美しさや鮮やかさ、熱々の湯気、漂う匂いなど、五感を使って楽しむものである。そのガムで1日分の栄養素が取れるようになったとしても、ガム食は様々な交感や食から生まれる人同士のコミュニケーションを奪ってしまうのではないだろうか。
この作品はガム食の描写を通して「なんか違和感」という感覚を提示し、サプリが増えてきた現代において食の豊かさを今一度再考する機会を与えてくれる。
二つ目は、テレビが出てくる部分である。ウォンカは、テレビで写真を他の場所に送信できるならチョコレートにもできるのではと考え、テレビ・チョコレートというものを発明した。ウォンカ社のチョコレートがCMで流れると、その場で実際に試食できるというのだ。今現在、身の回りにはテレビCMやWebのバナー、つり革広告など様々な場所に広告がある。それらが我々の精神衛生に悪影響を及ぼすという点が問題視されているが、実体験が添えられた広告ならどうだろうか。コミカルな描写で面白おかしく表現されているが、この問いは非常に興味深い。
『チョコレート工場の秘密』は児童小説にもかかわらず、読者の想像力を掻き立てる。本当にそうなったらどうだろう、というスペキュラティブな発想を喚起しているという点でこの作品は優れていると言える。