2019年11月11日 23時23分

すこしのズレ

ひなこ

王城夕紀 「マレ・サカチのたったひとつの贈物」

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 平凡な発想に見えて、だからこそ身近な脅威に気付かせてくれるストーリーだと思う。

 自分の意思と関係なく世界中へワープする「量子病」を患ったマレ。誰とも継続的な縁を繋げない彼女と、飛んだ先で出会った人々との日常がテンポよく語られる。

 あるテロをきっかけに大規模経済破綻が起こった。ネット上では刻々とメジャーな意見が代わり、人々の興味と憎悪の対象はすぐさま変わっていく。万能機「ポタコン」が普及している中、各国の民衆はネット上で一つの波となり、静かな崩壊を共有していた。次第にその波が行き着いた結論は「永遠の楽土」を目指すというものだった。

 そんな中、マレは飛び続ける。世界中のひとと生の対話を積み重ねていく。どこに飛ぶか全く予想はつかないが、徐々に彼女は「いま自分を必要としているひと」の元へしか飛ばないことに気づいた。奥深き森の中で、老夫婦の元で、喧騒から取り残されたマンハッタンの地下で、故郷に似た海辺で。誰とも縁を繋げないはずの彼女は、このネット社会では稀有となった、数値化できない何かを拾い集めていった。

 パリに住むネット解析の名手・ジャンの元にのみ、マレは複数回ワープした。彼の卓越した技術とマレの特殊体質がある機関の目にとまり、次第に彼女は大変革の中枢へと飲み込まれていく。

 「永遠の楽土」とは、意識を量子化してネット上に飛ばし、その中で人類が生きる世界のことであった。身体は存在しないが身体感覚は失われず、富や身分の不平等も無い。生きた歴史は保存され続け、実質的な寿命もなくなった完全な世界。崩壊を予感する現世の中で、これは多くの人類に望まれ始めていた。量子病のマレはその実験台にうってつけであり、身の安全のためには彼女が最もその技術を欲する人間だったのだ。7日間の熟考の末、彼女は実験を受け入れる。唯一量子状態で生きられる彼女は、ネット世界にどんな判断を下すのか。

 この物語のキーアイテムはポタコンだと思う。スマホの進化版のようなそれは、完全な言語翻訳機能を具える。そのため、世界のどこかでの瞬きが、しばしばネット上で大きな台風となり、現実世界にも大きな影響を与え得るのだ。これは現代の「炎上」「バズる」と呼ばれる現象に影響を受けた人々がいとも簡単に流され、一つの標的に集中放火していく様への啓蒙を果たす。言語翻訳という、近しい未来にはかなりの精度で完成しているであろう技術があるだけで、ネットの影響は大きく規模を広げる。そもそもネット移住という夢物語のような概念も、言語の壁がないネットの力によりひっそりと、しかしかなりの早さで広がり当たり前のものになった。一見誰にでも思いつくようなアイテムだが、その影響を丁寧に書くことで既出技術の脅威にも目を向けさせられるのだ。

 マレはしばらくネット世界で過ごした後、「私は現実世界で生きていく」と結論づける。ネット上の世界には何でもある。だがたった一つ、「別れ」がなかったのだ。出会いがあれば必ず別れもあるべき、それが世界中ランダムに飛んで、もう二度と出会えない別れを繰り返してきた末の結論だった。個人的にはただ「別れ」の必要性だけで他の利点を切ってしまうのが些か薄く感じてしまい、納得が行かなかった。しかし、別れの重要性を訴えるマレの言葉はSNSにどっぷり浸かった我が身に冷たく刺さった。Twittter,Instagram,Facebook…そこまで仲良くなかった同級生と未だに繋がっている、大親友だと思っていた友達は画面上でハートを送りあうだけの存在になり、会っていなくても会い続けているような感覚を持ち始めている。それも無意識に。現代では、SNSの普及により「別れ」が薄くなっているのだ。

 ポタコンもネット移住も、どこかで一度は聞いたような話。悪く言えばだれでも思いつくSFアイデアだ。だがこの作品は、崩壊の経緯を丁寧に描くことで、身近な技術がほんの少し進化するだけでこんなにも世界が変わる可能性を示唆している。