2018年10月16日 06時25分

真白な烏が飛んでいる

庄子

国木田独步 「国木田独歩」

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 「死」に始まり、「牛肉と馬鈴薯」「少年の悲哀」「酒中日記」「運命論者」など、これまたなんとも心寄せづらい名前を冠した物語ばかりが続いたあとの「春の鳥」というおだやかな響きに、なにか安心するものを感じて、読み始めた。語り手は、地方で英語と数学を教える教師。物語はこう始まる。「今より六七年前、私は或地方に英語と数学の教師を為て居たことが御座います。その町に城山というのがあって大木暗く繁った山で、余り高くはないが甚だ風景に富で居ましたゆえ私は散歩がてら何時もこの山に登りました。」だいたいどんな文章でも、独歩はこのような調子である。漢字の多用、句読点の不自然さ、時たま混ざる文語調の言い回し。堅い印象を受ける文字の並びに反して、描かれているのはなにげない風景。ちぐはぐなのである。もっとうまく言えないのかと、読みながらやきもきしてしまうほど。ただどうにもこうにも、あきらかにこれが独歩の味なのであって、これを楽しめなければ独歩は楽しめない。文章で魅せることのできなかった彼のこのいびつな日本語を、いびつなままに受け止めて、けっして自分なりに噛み砕こうなどしないで、味わう。たぶんきっと、そういう読み方が独歩にはいいんだろうと思う。

 物語に話を戻す。いつものように眺めのよい城山で読書を楽しんでいた語り手は、少女たちの叫び声を聞く。不思議に思い目をこらすと、森の奥から太い木の枝を片手に下草をかきわけながらこちらへ歩いてくる少年の姿があった。「生白い丸顔の、眼のぎょろりとした様子」でたたずむ少年を見、語り手は彼がただの子供ではないことを悟る。実際に話をしてみると、やはりそうだった。「何歳かね、歳は?」と訊くと、「急に両手を開いて指を屈て一、二、三と読んで十、十一と飛ばし、顔をあげて真面目に「十一だ」という」。少年は︱︱文章中で使われている故こう書くが︱︱白痴だったのである。突然の、白痴の少年との出会い。教師という職業柄、少年を放っておくことはできなかった。下宿先の主人に聞けば、少年の名は六蔵。数の数えられない少年の名が「六」蔵だなんて、なんと皮肉なことか。語り手は六蔵の無邪気な様子に心を打たれ、「人の力で出来ることならばどうにかして少しでもその智能の働きを増してやりたいと思うようにな」る。ここから、語り手と六蔵の日々が始まるのである。

 独歩にしてはめずらしい。そんな思いを抱いた。こんなに人情に溢れた物語が今まであっただろうか。男が集まって己の思想を声高に叫びあったり、叫ばないにしても一人でとうとうと語ったり、そんな物語ばかりを読んできた。きっと独歩の思想が色濃く反映されているのだろうと、教養人ぶった登場人物たちの胡散臭さを、冷めた感情でもって読んできた。そんなわたしの心が、今までと打って変わって、ぐらぐらと揺れた。教師である語り手は、六蔵や六蔵の家族に触れながら、何度も泣く。かわいそうで仕方なくて、でもどうすることもできなくて、泣く。わたしも泣きたかった。「八幡宮の石段を数えて昇り、一、二、三と進んで七と止まり、七だよと言い聞して、さて今の石段は幾個だとききますと、大きな声で十と答える」六蔵。「母親が(中略)折り折り痛く叱ることがあり、手の平で打つこともあります、その時は頭をかかえ身を縮めて泣き叫びます。しかし直ぐと笑って居る様は打たれたことを全然忘れて終っ」ている六蔵。独歩特有のいびつな日本語で描かれるからなおさら、いびつな六蔵の姿が痛いほどに伝わってくる。そしてそんな六蔵に真っ直ぐ向き合い続ける語り手の姿に、ただ心を握りつぶされた。

 しかし六蔵にもできることはあって、それは素早く山を登ること、ひとつだけ覚えている歌を歌うこと、そして鳥を見つけることであった。六蔵はとてもわんぱくで、「山登りが上手で城山を駈廻るなどまるで平地を歩くように、道のあるところ無い処、サッサと」自由自在に駆け回ることができた。歌は「木拾いの歌うような俗歌」で、諳んじてときどき歌っていた。鳥はなにを見ても︱︱「もず」を見ても「ひよどり」を見ても︱︱「烏」と言ってしまうが、見つけるとかならず騒いだ。その日も語り手があの城山に登ると、山中にある城跡の天主台に座り、「眼を遠く放って俗歌を歌って居る」六蔵がいた。その姿の、なんと美しかったことか。「空の色、日の光、古い城趾、そして少年、まるで画です。少年は天使です。この時私の眼には六蔵が白痴とはどうしても見えませんでした。」わたしにも、その六蔵の姿が見えた。本当に絵のようだった。何億光年も先を見ているような目で、旋律を口ずさむ六蔵。やわらかい日が差していた。空気がどこまでも、どこまでも澄んでいた。

 語り手と六蔵の日々が始まってから一年が経ったある日、とつぜん六蔵がいなくなった。語り手には、不思議と六蔵がどこにいるかがわかった。いつもの山に登り、六蔵が俗歌を歌っていた天主台の上に立つ。下をのぞくと、六蔵が倒れていた。「怪談でも話すようですが実際私は六蔵の帰りの余り遅いと知ってからは、どうもこの高い石垣の上から六蔵の墜落して死だように感じたのであります。」語り手の思ったとおりであった。独歩は、わたしが巡らす想像を先回りして、語り手の想いを綴る。きっと六蔵は、鳥になりたかったのだろう。山を駆け、鳥を追い、きっと自分も飛べると思ったのだろう。そんな想像を。「余り空想だと笑われるかも知れませんが、白状しますと、六蔵は鳥のように空を翔け廻る積りで石垣の角から身を躍らしたものと、私には思われるのです。木の枝に来て、六蔵の眼のまえで、枝から枝へと自在に飛で見せたら、六蔵は必定、自分もその枝に飛びつこうとしたに相違ありません。」

 その後六蔵の亡骸は葬られ、語り手にとっても、六蔵の家族にとっても、六蔵のいない日々が始まった。語り手は六蔵に想いを馳せ、あの天主台に再び登る。三月の末、空を仰げば、鳥が悠々と羽ばたいている。きっとこの鳥たちも、六蔵に言わせればすべて「烏」なのだろう。烏、真っ黒な烏。真っ白な六蔵が、真っ黒な烏を追いかけるなんて、これもまた、どんな皮肉なのか︱︱。「石垣の上に立って見て居ると、春の鳥は自在に飛んで居ます。その一は六蔵ではありますまいか。」のちの自然主義に大きな影響を与えたといわれる独歩の描写が、やはりどこかいびつなままで、綴られる。上手い文章ではないかもしれないが、独歩は、心のなかも、外の世界も、なにも特別扱いせず同じように描く。だから語り手の心情も、六蔵の死も、春の鳥も、紡がれる日本語のなかに埋もれて、ひとつの風景になるのだ。先の引用は、こう続く。「石垣の上に立って見て居ると、春の鳥は自在に飛んで居ます。その一は六蔵ではありますまいか。よし六蔵でないにせよ。六蔵はその鳥とどれだけ異って居ましたろう。」六蔵は、空を飛べたのだろうか。日々追いかけ、憧れた、あの「烏」のように。

#国木田独歩