どんな大人になろう。なればいいのだろう。刺激的な情報がインターネットを通じて24時間365日入手可能な世の中。10代を僅かに残して進路に悩む私がいた。周りを見渡して手に入る流行りの文体も、流行りの音楽も、流行りの女の子も、いまいちピンと来なかった。「新しくて尖ってる」、ただそれだけを軸に全ての価値が測られている気がして、人の心が置いていかれているような気がして。もっと人の心を大切にしてほしい、周りのみんなに、私に、この国のみんなに。将来について尋ねられれば、大きな理想と自分の手が届くものとの狭間で、全てに牙を剥きたくて、泣き出しそうだった。出掛けた先の小さな雑貨屋さんでこの絵本に出会うまで。
絵本だから、言葉はごく僅かだ。だけど、ここにあるのは、大切にしたいことのほとんど全てだった。
「あさになったのでまどをあけますよ」
「やまはやっぱりそこにいて
きはやっぱりここにいる
だからぼくはここがすき」
絵本の中で、私の知らない土地に朝が来た。私の知らない人がそこに暮らしていた。私の知らない人が私の知らない土地を好きでいた。
思えば、世界はそんなことの連続なんじゃないかと思う。どんな土地にも誰かの思い出があるはず。どんな人にもその人を大事に思った人がいるはず。どんな物にもそれを作った人がいるはず。
私の身の回りも多分、誰かの好きで構成されている。そしてきっと、私の見たことのないところにも誰かの好きがごろごろ転がっている。みんながみんな、何かを好きなのだ。だからこそ、自分が今持っているものを、自分の身の回りに既にあるものを、大声で好きだと言うことは恥ずかしいことではない。やっぱりでいい。やっぱり、だからすき、でいい。新しくなくたっていいのだ。
夜が来たら眠り、朝になったら窓を開け、みんなの好きな何かを尊く思えるように、自分の好きなものをもっと大声で大切にできたらいい。そして、自分の好きなものを大事にできるように、みんなの好きな何かを拍手で迎えたい。