『こんどコーヒーをわかしたら、ぼくに一杯ついで、バーボンを入れ、タバコに火をつけて、カップのそばにおいてくれたまえ。それから、すべてを忘れてもらうんだ。テリー・レノックスのすべてを。では、さよなら。』死んだテリー・レノックスから、フィリップ・マーロウへ届いた手紙の一節である。
推理小説家レイモンド・チャンドラーによる私立探偵フィリップ・マーロウを主人公とする小説シリーズは、ハードボイルド小説の古典として高く評価されている。マーロウはシャーロック・ホームズのように、超人的なひらめきの才能に長けている訳ではない。酒とタバコとコーヒーを嗜み、片手間のチェスを愛し、自らの足で歩いて事件の解決に挑むのである。ある時は無実の罪で投獄され、ある時はギャングに命を狙われ、またある時は女に誘惑される。権力や金、暴力といったアメリカの闇と対峙しながらも、私立探偵は奇妙な殺人事件の連鎖を解き明かしていくのだ。
マーロウにとってなにかに流されることは、自分が自分ではなくなることを意味している。彼が偶然に助けた酔っ払いは自らをテリー・レノックスと名乗り、二人の間には確かな友情が芽生えていく。マーロウは決して信念を曲げない男だ。たとえ拳銃を握ったレノックスが目の前に現れたとしても、普段と変わらずタイマーを三分に合わせてコーヒーを沸かす。彼にとってレノックスは友人だからである。友人だからこそ、レノックスの死について警察に通報することはない。彼の手紙の指示通りにコーヒーを沸かし、カップにバーボンを加えて、タバコに火をつけるのだ。
そういったマーロウの一挙一動と、シニカルでキザなセリフがずるいのである。天才的なひらめきで事件を解決する名探偵や、巨悪に立ち向かい物語を大団円へと導くコミックヒーローよりも、薄暗いバーの奥で酒を飲みタバコの煙を燻らしているくたびれた私立探偵の姿に魅力を感じてしまう。
マーロウが挑む事件は、必ずしもすべてがハッピーエンドで終わるという訳ではない。彼が足を踏み入れるアメリカ社会が抱える闇は巨大なのであり、それについては誰も責めることができないからだ。
マーロウは信念を曲げない。一度「本当のさよなら」を言った相手には、もう「さよなら」は言わないのだ。「本当のさよなら」は、『悲しくて、さびしくて、切実なひびきを持っている』からだと言う。同時に『さよならをいうのはわずかのあいだ死ぬことだ。』と、フランスのことわざを引用して述べている。
思いがけずに言った「さよなら」が、長い別れに繋がることがある。「さよなら」という言葉が人間同士を引き裂いてしまう。伝えた相手がどこかで生きているとしても、姿を見ていないという意味では死んでいることと同じだ。軽く口から出た四文字の言葉を最後に、果たして何人と別れてしまったのだろうか。何人に「本当のさよなら」を伝えられなかったのか。やり切れない虚しさと寂寥感が漂う最後の数ページを読みながら、ふとそんなことを思う。