2018年12月21日 11時55分

科学でも愛を

Junya Hirata

エンリケ・バリオス 「アミ小さな宇宙人」

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「わかったかい? 遊びか、おとぎ話のようにして、ほんとうのことを言うんだ」

真実と呼びたいくらいの誠実さを笑われた経験は数え切れない。本気で思って、願って、祈るように伝えた言葉は、相手のやさしさになんかかすりもせずに、未熟だと切り捨てられ、忘れ去られる。夢見る気持ちは、現実感のない未発達な感情だと言い切る風潮に傷つき、心底腹を立てていた。今だってその続きなのかもしれない。

 この本は四年前からぼくの部屋の本棚にあった。表紙にさくらももこさんの抜群にキュートなイラストが描かれたこの本との再会は、残念ながら課題ともアカデミズムとも無縁の場所からやってきた。臆面もなく言ってしまう。

好きな女の子にすすめられた。

彼女のバイブルなんだという。そりゃすぐに読むしかない。どうしたって読むという選択肢しかない。読まないという可能性が考えられない。だって好きなんだもの。

 本題に戻ろう。この作品について、結論から言うと、ますます彼女を好きになった。

 あらすじはいたってシンプル。十歳の少年がアミという名前の小さな宇宙人と出会い、世界や宇宙を旅して、宇宙の本質を知るというものだ。この物語では「宇宙の基本法」という言葉で世界の本質を示してるのだが、その正体は唯一「愛」なのだという。本当にシンプルだ。シンプルすぎてむしろ、この説明だけでは都合のいい子供騙しにしか聞こえないかもしれない。そこで冒頭のセリフを思い返してもらいたい。「遊びか、おとぎ話のようにして、ほんとうのことを言う」この作品は自分自身の表現でもって、このメッセージを体現しているのだ。地球の数倍も文明が発達した星から来たアミは、その独自の世界観で十歳の少年に世界を説明する。幸せの定義、労働、経済、政治、時間、祈り、信仰、瞑想、神。これらは哲学であるはずだが、その内容が難しいとは思わない。なぜなら徹底してその表現が実学的だからだ。生活の実感を根底に、全てを「愛」によって説明してしまうのだ。そう、まるでおとぎ話のように。

 具体的にひとつの場面を挙げてみよう。

物語後半、少年はアミの説明した高度な文明を実践する惑星を訪れる。そこでは生産や労働を全て機械が行い、人々は人生の瞬間をただ謳歌するだけだ。法律も国家もモノの所有もない。まさに愛だけで成立する世界を少年は見るのだが、その仕組みを理解しきれない。するとアミは少年に全く愛のない世界を想像するよう問いかける。エゴイズムにまみれ、他人を全て敵とみなし、絶望と破壊を繰り返す世界。そんな世界はすぐに滅びてしまうことに少年は気がつく。愛こそが世界を構成する要素であり、万物は愛の変化であると少年は考えるのだ。

 この文明社会の想定はただ一つ、愛の深さが数値化できたとして、数値が一定以上の人が住んでいる世界とは?というものだ。反対に、どのような世界なら人は愛のためだけに生きられるかという想定だともいえる。物質的な貧しさがなくなり、何の心配事もなくなったとき、人は瞬間を知覚するのに全てを捧げ、より多くの愛を見つけることに人生を使い始めるというのだ。思えば幼い頃、ひとつの不安もなく母親の胸に抱かれていたとき、ぼくらは自分と人を比べることはなかった。真のテクノロジーの発達がそんな状況を可能にするのではないかとこの作品は希望を与えてくれる。

 冒頭で述べたとおり、ぼく自身、真実と呼びたいくらいの誠実さを笑われた経験は数え切れない。ただ、この作品を読み終えて感じたのは、まだテクノロジーが愛や霊性の後押しをしてくれないとしても、自分から大切にしてみるべきなんじゃないかということだ。少なくとも、勧めてくれた彼女にはそんな気持ちで接してみたい。読者が自分の生活について考え、決心できたのだから、この作品は間違いなくデザインフィクションと言えるだろう。

#デザインフィクション演習