SF作品という題材を提示されて最初に思い浮かんだ作家が、伊藤計劃氏でした。しかし、せっかくの機会なので新しいSF作品を読みたいと思い、伊藤計劃以後の日本のSFの流れを組む作家を探していたところ、目に止まったのが長谷敏司氏でした。そこで今回選んだ本が、『My Humanity』という四つの短編からなる彼の作品集で、その中の『地には豊穣』という作品が一番心を動かされたため、これを紹介させていただきます。
まず2089年が舞台として設定されています。そこで新しい技術として最も注目を集めているのが、今回の本題となる「経験伝達」と呼ばれるものです。専門技術者の経験そのものを直接使用者の脳に再現し、行動を模倣することができるのがこの「経験伝達」という分野です。そしてそれを実現させるツールである擬似神経制御言語を開発する会社ITPの、日本文化担当チームの副主任ケンゾーと主任ジャックのこの二人を中心に物語は動いていきます。彼らは、英語圏の人間を基準に開発されているITPを日本人の脳に合わせる処理手続をする日本文化調整接尾辞の開発を、シアトルで力を合わせて行なっています。しかし二人は考え方が大きく異なっています。主人公のケンゾーは性能をより重視して世界に劣らない日本のITPを作り上げようとしているのに対し、同僚であるジャックは日本文化の特徴を保護しやすいITPを目指しているのです。この二人の対立構造は、社会全体としての経験伝達技術開発者と民族主義者との対立にも繋がっていて、両者の齟齬はだんだんと激化していきます。文化だ歴史だと言いながらも金に困ればITPの実験に協力する民族運動家に不信感を抱き、結局は文化など時代が進んでしまえば一種の化石になってしまうに過ぎないと考えるケンゾーは、ある日ジャックの書道の先生である鹿沼音一郎氏と対面します。そこでケンゾーは彼に、出されたお茶に毒が守られてあるというカマをかけられます。その嘘にまんまと引っかかったケンゾーは死に怯え焦るのですが、その時に自分の頭に何も言葉が思い浮かばず、ただひたすら現実を否定しようと足掻くことしかできなかったことに気づくのです。その場に至って初めて彼は自分がアメリカ人でもなければもはや日本人でもない孤立した場所に浮かんでいる存在であることを自覚します。そして彼は自分自身が何者であるかを探るために、認められていないやり方で「日本人」の経験伝達を自身に取り込みます。そこから彼の見える世界は変わっていき、人が文化という土台を失うことはできず、絶えず私たちの体を構成する一部として文化は役割を担っているのだという考えへと変わっていくのです。
簡単に以上のように概要をまとめてみましたが、これでは当然ながら伝わりきらないくらいに未来のテクノロジーの技術描写が優れており、何かを考えさせてくれる面白い作品でした。その中でも私が一番評価した点は、「文化」というキーワードを最終的にどういった立ち位置に持っていくか、ということです。話の流れからすれば、こういった未来の技術が人類から文化を剥奪して一様化を進めていってしまうのではないかという危惧を示す方向へと向かうと思いますが、そこを最後主人公が、絶対に文化と人を切り離すことはできないという立ち位置をとって物語を終えた点が私にとっては驚きで、なにかすっきりとした感覚で未来を捉えることができました。