2018年12月21日 03時25分

未来の描写に現在を思う

金廣 裕吉

ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア 「たったひとつの冴えたやりかた」

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 まず断らねばならないが、恥ずかしながら本書との出会いは、数限りない書物の中から偶然に手に取った、という運命的なものではなく、課題に間に合わせるための下調べから始まっている。しかし、人どうしの関係を顧みるに、運命的でなくとも、お見合い等の出会いもまた、立派な縁だと信じたい。

 ネットを検索して、技術の描写があり、これまで読んだことがなく、読みやすそうであり、すぐに利用できるものを選んだ。その結果、面白い読書経験が得られたと感じたので、説明したいと思う。

 概要は次のようなものであった。超長距離の星間旅行可能になった時代、コーティーという少女は、未踏の星々を求めて宇宙を旅する冒険者に憧れていた。コーティーは、宇宙での旅の中、人類にとってファーストコンタクトであるエイリアンと出会う。そのエイリアンは、生物の脳に侵入し、宿主と共生する知的生命であった。しかし、彼女の出会ったエイリアンはトラブルがあり未熟だったため、やがて暴走してしまい、宿主を殺して繁殖しようとしてしまう。エイリアンの繁殖と暴走の連鎖を危惧したコーティーとそのエイリアンは、宇宙船ごと恒星へ突っ込むことで、身を挺してそれを回避した。

 この小説では、技術等を表す特有の語句が当然のように使われていることが、現代ではない未来という世界観を強化していると感じた。「超C推進」や、標準時間にして何日というような表現に、未来の人々の暮らしを常に支えている、未来の科学、技術を想像させられる。それらを想像する視線が、現代の日常における現代の技術はどうか、あるいは今に繋がるこれまでの技術の発展の歴史はどうだったか、と跳ね返ってくるように感じた。

 また、「神話の宇宙船」、という表現は、未来における過去のイメージが、現代から見れば未来であるという状況を意識させる。先とは逆に、未来での常識はどんなものかと、視点が未来へ向かう。このように本書を介して、技術を軸に過去や未来に思いを馳せる経験をした。

 超長距離での通信が、重力場のムラによって歪んで難しくなる、という説明なども、まだない夢のような技術も、魔法のように全てを解決するものとは描かれておらず、現代から出発して、発展を続ける技術を想像するきっかけとなった。

 そういう未来的表現はあるものの、人の感じ方や、言動は現在の人間像から離れておらず、技術というものが、あくまで人間の行動や理解の範囲を広げ、活動の豊かさをもたらす道具として描かれている。つまり、車輪や、石器の延長としていつまでも技術が理解されているように感じた。ここに関しては、技術によって人類自体が変容する可能性も考えられるのではないかと思った。

 ときに、本書では、「エイリアン」の使い方が印象的だった。私にとってエイリアンは、地球というホームに襲来する、稀人のようなイメージだけだったため、宇宙の色々な場所に住んでいる自分と等価な生命体という認識のしかたに新鮮味を感じた。

 また、脳に寄生する極小の生物と、落語のように会話するというアイディアも奇妙で刺激的だった。一人の肉体に対して、精神とか、魂が一対一で固定されているという常識に疑問を投げかけてくれた。

本小説は、今現在無意識に受け入れていることに、様々な気づきを与えてくれる物語だと感じた。

#デザインフィクション演習