2018年12月21日 11時46分

魔法の手

小林 匠吾

伊藤計劃 「ハーモニー」

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 読むなら『虐殺器官』からにしよう、と思ってから早三年ほど。伊藤計劃の著書は高校でも人気で、興味はひかれていたものの、シリーズの最初から読みたいという欲が邪魔をして、当時運よく手に入ったこの『ハーモニー』をずっと寝かせてしまっていた。読んであげないのもかわいそうだと思ったので、課題としてSF小説の書評を書けと告げられた段階で、これを読もうと心に決めていた。『虐殺器官』は、このあと年末にでも実家でこたつに入って読もうと思う。

 核戦争と、その後に到来した” 大災禍 ”。人々の倫理観が失われ、大虐殺事件も発生した悪夢のような時代を抜けた人類は、福祉厚生が完璧すぎるほど整った社会を作り上げた。

 常に体内を監視、異常を自動で撲滅するシステムを導入し、常に健康であるように外部から生活をマネジメント。さらには身体と精神に少しでも悪影響を及ぼすものを撲滅したり、個人情報や社会的な評価を数字で常に開示させる。そうして、人々は社会の所有物になる代わりに、幸福な(あるいは幸福と思わしき)生活を享受するようになった。地球上からほぼ全ての病気・障害は撲滅され、(基本的には)老衰と不慮の事故以外の要因で死ぬことはなくなった。また、人々は一人として欠くべきでない公共のリソースであるとして、誰もが「他人を大切にする・自分が大切にされることを強制される」時代になった。国家はその役目をほぼ失い、生命主義(前述したようなライフスタイルを人間の尊厳にとって最低限の条件とする思想・立場)を掲げる数え切れないほどの” 生府 “たちが、経済全体から子どもの朝ごはんまであらゆる部分に介入し、健康的な生活を提供(強制)するようになった。

 " 大災禍 "で負った痛みからか、人々は「健康のため」という大義のもとに管理されることを、すんなり受け入れた。いつしかそれが当たり前になり、思いやりと慈しみを持った行動をせよ、という「空気」が、穏やかに全世界を支配した。

この小説は、そんな社会にかつて反旗を翻した少女たちの、世界に対する抵抗の物語だ。

 (少し具体的に書いてはいるものの、)だいぶかいつまんだ説明で、右の文量である。設定の緻密さからして、1400字以内では到底この作品の技術描写について、質はどうあれ十分に書評を書くことは難しい。文字数からはオーバーしてしまうが、今回は一つの技術描写に絞って、デザイン・フィクションの観点から書評を書こうと思う。

 恒常的体内監視システム” Watch Me “は、物語の根幹に関わる重要な技術描写である。定期的にレポートを作成して、健康管理サーバーへ送信。異常を感知すればすぐさま分析、一家に一台導入されるメディケア(個人用医療薬生成システム)にデータを送信。そしてメディケアの出す毎朝一錠のお薬が、体の中の異常を駆逐してくれる、と言った塩梅だ。少しでも精神的なダメージを負った時にはカウンセラーやセラピストを呼びつけ、すぐに処置してくれる。病にもかからず、老いもせず、体調もいつだって万全でいられる魔法の手。健康という観点から見れば素晴らしいのかもしれないが、他の点からはどうだろうか。カフェインは取れない、小説や映画なども当たり障りのないものだけ……。他にも心や体に悪影響を及ぼしかねないと判断されれば、やめなさい、と指導される。この状態で、文化は果たして今まで通りに息をしていられるのだろうか。

 作品世界は" 大災禍 "の後の時代であり、大きな過ちの反省から、飼い慣らされる選択肢を選んだ世界である。文化が息をしていなくとも、それ以上に痛みをもう一度味わう方が御免だ。しかし、私たちの生活ではどうだろうか。健康という錦の御旗をふりかざされたら、文化どころか自分の意思までも蹂躙され、どうしようもなくなってしまうのではないだろうか。現実問題として、一つの文化と呼んで差し支えなかったタバコやその他嗜好品は、健康のために駆逐されつつある。社会が、その空気感をまとい始めている。そうしてゆっくりと文化や生活を制限していった先で、私たちの身体だけそれが及ばない保証はないのだ。この作品で描かれているように、自分の身体や意思すらも蹂躙されてしまうかもしれない。

 物語の結末だけを書くと、全人類は" Watch Me "の制御系にあらかじめ仕組まれたコードにより意識(自我という表現の方が適切かも)を消され、完全な社会的存在として生きることになる。「わたし」がいなくなり、感情は消え、ゆえに迷いもなく人々は社会のパーツ以外の何者でもなくなった。そして、これはある種現在で理想とされている社会を誇張して描いたものであり、一つの未来の可能性として見ることも可能だ。今はそうなってほしくない、と漠然と思うけれど、何かをきっかけに人々の価値観が変われば、そこからは多分、一瞬だ。

 伊藤計劃が描く、ユートピアの臨界点。文庫版の裏表紙には、そんな煽り文句が書かれている。しかし、ユートピアに近しい社会を夢見て「進歩」を続ける私たち人類は、何かのきっかけでそれに歯止めが効かなくなってしまう可能性だってある。私たちにとっての" 大災禍 "は、予想だにしない形で襲いかかってくるかもしれない。そこから先へ進むための一歩は、慎重に踏み出さなくてはならない。

#デザインフィクション演習