2018年12月20日 00時36分

人間らしさ

髙谷 蓮実

フィリップ・K・ディック 「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」

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 フィリップ・K・ディックによる『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』という作品を、私は#SF小説と検索して挙がったInstagramの投稿の中から見つけた。『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』に関する投稿で見られた、「第三次世界大戦後」「電気動物」「マーサー教」などのキーワードに惹かれ、この小説を読むことにした。本のカバーには、「映画化名『ブレードランナー』原作」と書かれていたが、映画の内容も知らなかったため、ネタバレなしで読むことができた。

 小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』は1968年に発行されており、1992年を舞台とした物語である。第三次世界大戦後、放射能を持つ「死の灰」に汚染された地球では、ほとんどの動物が姿を消し、生き残った人類の多くが他の惑星に移住したことで人口減少も著しかった。全ての生き物の希少価値が高まった地球では、動物を飼うことがステータスとなったが、高値で売買される生きた動物を買えない者は、本物そっくりの模造動物を飼う。電気羊を飼う主人公のリックは、植民化の進んだ火星から逃亡してきた、最新のアンドロイド8体の処分を任せられ、多額の懸賞金とともにかなりの危険も伴うこの職を引き受ける。しかし、アンドロイドは生き物に感情移入をしないという事以外に人間との違いがなく、記憶の移植によって自らを人間だと思い込んでいる者もいる。任務を進める中で、リックは様々な葛藤を抱えるが、マーサー教の指導者マーサーの助言もあり、任務完了後はハンターの職を離れることを決めて8人の逃亡アンドロイドの処分を成し遂げる。

 読み始めてまず興味深かったのは、他人の飼育する動物が本物かどうか尋ねることがタブーとされていることや、塵芥の収集が主要産業となっていることなど、第三次世界大戦後の地球の生活をリアルに味わうことのできる描写が多いことだ。

 こうした時代背景を踏まえ、この小説では、生き物への感情移入をするかどうかという事が、アンドロイドと人間の唯一の違いとして描かれている。アンドロイドは生き物への感情移入をしないため、虫を惨忍に扱い、人間をもためらわずに殺してしまう。一方、リックと同じハンターのフィル・レッシュがアンドロイドの殺処分を淡々とこなす姿が冷酷に見えたことから、リックは彼をアンドロイドなのではないかと疑うが、彼は人間であることが証明される。フィル・レッシュや自身を何者なのかと疑うリックに読者が感情移入することで、人間らしさとは何か、考えさせられる。また、物語の中では、「死の灰」の影響を受けるなどして知能検査に引っかかった人間は「特殊者」として社会から排除されるという過激な設定があり、人目を避けて郊外の廃墟に住む「特殊者」のイジドアは、逃げてきたアンドロイドを匿うが、ハンターのリックに見つかり、アンドロイド達は殺されてしまう。相手がアンドロイドとわかっても拒まず思いやるイジドアを通して、感情移入を人間の象徴とする一方で誰より感情移入能力が高いイジドアを「特殊者」として人類の一員ではないと判断する社会の矛盾についても深く考えさせられる。このように、アンドロイドと人間の二項対立でなく、人間同士の対比によっても、「人間らしさ」やアンドロイドと人間を区別することの必要性について考えることを促す点が、優れていると感じた。

#デザインフィクション演習