2018年12月19日 20時53分

「うるさい相手」について

yonezawa naofumi

星新一 「マイ国家・ひとにぎりの未来」

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 「星新一は一冊くらい読んでおかなければならないだろう」という義務感から手に取った。いくつかあった星作品のなかで『マイ国家』という題名に惹かれた。為政者は「国家」をある種の箱庭的発想で創ったのではないか、という自分のなかでの仮説があった。(20世紀半ばの満州建国のプロセスを学ぶなかで)星新一という叡智は「国家」をどのように捉えているのかを知りたいがために『マイ国家』を手にとった。

 『うるさい相手』は「自分を買ってくれ」とせがむロボットの話。主人公ははじめは買わないと決めていたのだが、あまりにも友人が勧めるので、ロボットが離れないうちに購入した。しかし、そのロボットはハードウェアにすぎなかった。ロボットに料理をお願いする場合には料理用のソフトウェアをまた新たに購入する必要があり、庭手入れをお願いする場合には庭手入れ用のソフトウェアをまた新たに購入する必要があった。そして、それだけでなくロボットは毎月のようにメンテナンスのために本社に戻す必要があった。そんな日々が続き、主人公はロボットへの不信感を募らせていた。そこへ、友人から「ロボットからつきまとわれているが、購入した方がいいか」という電話がきた。主人公は同じ苦しみを与えるためにその友人にロボットを勧める。

 この「ロボット」は現代にたくさん溢れている。テクノロジーだけでなく、様々な製作工程や行政手続きがブラックボックス化されている。もうこうなってくると誰かに任せるしかない。それぞれが、それぞれの「ボックス」を「ブラック」に保とうとしてしまう。オープンイノベーションはどこへやら、というのが現状であり、この『うるさい相手』は現代のこの状況を予見していたという点で私は非常に面白く感じる。

 また、ハードを購入したあとも課金しなければ詳細な設定はできないというこの物語は現代のソーシャルゲームやマッチングアプリのビジネスモデルに通じていると感じる。

 テクノロジーとは本来人を幸せにするというポジティブアプローチが多かったはずだが(1970の大阪万博など)、星新一は先見的にテクノロジーの負の側面を的確に予測していた。

 しかし、近年はこうした負の側面に対して政治的なアプローチによる改善が見込まれており、企業自身も自社の信用スコアを落とすようなビジネスモデルは展開しないことが新しい時代の「モラル」になってきているようには感じる。「消費者自身が気をつけよう」という啓蒙活動は21世紀にはもう通用しない。行政や企業から、トップダウン的に「うるさい」やつを排除しなければいけないのではないか。

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