ジェンダー上の女という生き物が、神秘で、そして不思議だと、正直、心の底からそう思っている。だから、その神秘かつ不思議な「女心」を描く太宰治の文章は、いつも興味深く読んでいるのだ。この度は、mikaさんが掲載した太宰治の短編小説『皮膚と心』の書評を読む機会に恵まれ、早速原作を拝読してみた。
この小説は、ほんの「15分で読めてしまう」短編だそうだが、実際ぼくは読むのに5時間もかけてしまった。勿論、一人の外国人の読者として当然時間はかかる筈だが、しかし理由はそれだけではない――ぼくは女性の主人公から、何らかの違和感を読み取れてしまったのだ。
物語は、ある日、女性の主人公が食中毒で皮膚から発疹した話であった。しかし、ぼくは彼女の真の病が皮膚病ではなく、心の病だと思う。というのも、主人公は、最初から自分のある価値観に閉じ籠り、そして「容姿」と「幸福」との間に因果関係をつけようとしたのだ:縁談に二、三回失敗したら、自分の容姿上の欠点にさらに気になるようになり、「おたふく」と自虐的に自称し、そして「おたふくであること」を自分が不幸の原因にした。彼女は夫が学歴がなく、仕事が不安定で、歳をとっていることを知ったら、「おたふくだって、あやまち一つ犯したことはないし」と言い;結婚した後、夫に大事にされ、そして夫が女学校時代から愛用の化粧品のブランドのデザイナーであることを知ったら、「おたふく」である自分はこの幸福に相応しくないと思い、夫に心を閉ざし、夫を敬遠したり、不貞を考えたりし;そして今度は、発疹した原因を、その「おたふく」と「幸福」とのパラドックスの「罰」とした。
翌日、主人公の皮疹が全身に拡散しする。夫は仕事を休み、彼女を自動車に乗せ、新聞で調べた有名そうな皮膚科専門医に向かう。しかしその優しさは彼女を動かさず――「私は葬儀車に乗っている気持でございました」。病院の待合室の雰囲気が窮屈で、彼女は夫を外へ行かせ、愛読の『ボヴァリイ夫人』を読み始める。彼女によると、エンマの「苦しい生涯」がいつも彼女を慰めているそうだが、エンマの不貞、虚栄、強欲で、さらなる不幸に追い詰められた夫のシャルルと娘のベルタは、なぜか論外であった。すると主人公は悟った:「だって、女には、一日一日が全部ですもの」――「男とちがう。死後も考えない。思索も、無い。一刻一刻の、美しさの完成だけを願って居ります」、と。
なるほど。彼女にとって、一刻一刻の美だけで全部なのだ。だから彼女にとって、エンマの体を狙って思い存分婬するルドルフやレオンに弄ばれることより、発疹する方――つまり美しくいられないほうが不幸だったのか;だから彼女は「容姿の美しさ」と「幸福」に因果関係を付けて、「おたふく」と「幸せな婚姻」とのパラドックスを納得できず、ただの発疹を「罰」と思い込んでいたのか;だから彼女は物語の最後、「おたふく」がただの口実で、実際皮膚が自慢だと気がついた瞬間に喜んでいたのか。
mikaさんのコメントに、ぼくは頷く――「美しいか美しくないかはさて置き、自分の顔を愛せるか愛せないかというのは一つ、人間の幸せの指標になるかもしれない。特に女性のなかには毎日化粧をして出かけなければならない仕事も少なくないだろうから、鏡のなかの自分の顔と向かい合う時間だけ考えてみても、累計したらちょっとバカにならない数字になってしまう」、と。考えてみれば、今日ディズニーランドに行って、自分を可愛く見せるために「かわいい」と唱え続ける女性同士もそうではないだろうか。童話の王子が迎えに来なくても、自ら「氷の城」を作って閉じ籠っても、毎日毎日一人で「美しくい続ける」ナルシシスティックな女性もそうではないだろうか。
これは、ある言説を内面化した女性の、いや、社会の病だと思う。すなわち、「より美しければ、男性からより多く幸福を提供される」理屈が先立ち、そしていつの間にか、「美しいこと」自体が「幸福を得られる」前提になってしまったのだ。太宰はこの状況を掲げ、批判的な意味を示唆したと思う。ところが、女性を「男性の支配」から解放するフェミニズムを提唱しつつある、われわれが生きている今日は、太宰が生きていた時代に比べて、結局どこが違うのだろうか。そう考えてみると、ぼくの背中もまるでアレルギーで発疹したように、ぞっとしてむず痒くなってしまった。
とはいえ、主人公にはとても尊敬するところもある。父を喪った三人の女性ばかりの弱い家庭にも関わらず、彼女が「家の仕事のかたわら、洋裁の稽古にはげみ、少しずつご近所の子供さんの洋服の注文なぞも引き受けてみるようになって」、将来自活して家を守ることを覚悟したところ、ぼくはとても感心だった。フェミニストであるかどうかではなく、ぼくはただ、女の幸福は男からもらうものではなく、自分の手でつかむものだ、と考えているだけだ。少なくとも、自ら何も努力せず、ただ結婚を通して幸せになりたがる女性よりは、ぼくは彼女のほうが魅力的だと思った。