2019年11月12日 01時03分

科学技術の本質

進藤郁香

星新一 「妄想銀行」

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妄想銀行というのは、人々の中にある妄想を機械によって吸着し、それをカプセルに閉じ込めて妄想そのものを売り買いするという、妄想によって成り立っている銀行である。これはエフ博士が、商業主義とマスコミによって妄想が過剰に膨れ上がり、人としてなすべきことがなせていない現代社会に即して、その解決策として開発した、現実的でヒューマンスティックであるともいえる装置だった。私はこの装置が、人々のペインと需要をうまく落とし込んだ、非常に巧みに作り上げられたものに感じた。例えば、泰平すぎる世の鬱積した不満からか、自分が由井正雪であると思い込んでいる男のその妄想を吸い取って、由井正雪を演じる役者のいる劇団へ売り与えたり。はたまた男子学生から、裸の女性が鮮明に現れるような妄想を取り除いて、勉学に集中させ、一流の官庁や会社に就職するような人間へと導いたり。などなど、誰にとっても不利益のない、非の打ち所のないような装置であった。

しかし私は、エフ博士がヒューマンスティックであると思って開発したこの装置は、果たして本当にヒューマンスティック、つまり、人としての道を重んじるものであるのか、疑問に感じた。私は、この装置によって多くの人が、人として生きるうえで乗り越えるべきたいせつな過程を、何一つ自分の力で成し遂げられなくなってしまったように思う。人は欲をもっていて当たり前で、良い欲にせよも悪い欲にせよ、それといかにしてうまく付き合っていくか模索することこそが、本当の意味で人としての道を重んじるということではないだろうか。妄想銀行に限らず、現代に新しくもたらされた技術が、知らず知らずのうちにヒューマンスティックを損なうことに繋がってしまっているように感じることがある。例えば、出生前診断だ。本来出生前診断は、胎児の疾病の早期発見、早期治療のために生み出されたというが、現代においては、産んだ後どうするか、ではなく産むか産まないかの判断に直結することになってしまっている。より人としての幸せ、豊かさを実現するために生み出されたはずの技術が、命の選別という、ヒューマンスティックの面で異議を唱えざるを得ない方向にはたらいているように感じる。妄想銀行に出てくる装置も、実際に使っていく中で本質的な意味が変わってしまっているという点で共通していると思った。これは、他の科学技術も秘め得る、恐ろしい可能性だと考える。

ただ、この物語をふまえて、世の中により効果的な新しいもの生み出すうえで考慮すべきヒントを得られたようにも思う。まずは人々や世の中のペインと需要に着目すること。もうひとつは、マズローの欲求5段説に代表される様々な欲をいかに満たすものであるかということ。やはり自分の欲を満たすような働きをもつものに人々は惹かれるだろうし、なおかつその欲を満たすことが誰かにとっての喜びに繋がるというのは、この上なく意味をなすものではないだろうか。妄想銀行は、欲に直結した妄想を効果的に利用したものであったが、それゆえにヒューマンスティックの本質的な面で欠けているように私は感じられた。なので私はこれからの活動において、人々の欲求を捉えつつ、人間らしさをより豊かにするようなアイデアの発想に努めたいと思う。