2019年11月12日 02時18分

人と機械と感情と

らき

フィリップ・K・ディック 「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」

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現代SFの金字塔と称されるフィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』。本作は1982年に『ブレードランナー』として映画化もされており、一昨年にはその続編『ブレードランナー2049』が公開され話題になったことからも知られている。

あまりにも有名な本作には不必要かもしれないが軽くあらすじをさらっておこう。舞台は第三次世界大戦後、放射能灰に汚染されたサンフランシスコ。生物が珍しいこの世界で主人公リック・デッカードは機械仕掛けの羊を飼っていた。そんな彼は本物の羊を手に入れるべく、火星から逃亡してきたアンドロイド8体を狩っていく。その過程で主人公は・・・といった感じだ。

この物語のテーマはタイトルが仄めかすように、“アンドロイドは人間と同じように生きているのか”ということだろう。それを考えるうえでキーワードとなるのが〈感情・共感〉だろう。本作では“ペンフィールド情調オルガン”、 “フォークト=カンプフ感情移入度検査法”といった〈感情・共感〉に関する技術が多く出てくる。冒頭から登場する“ペンフィールド情調オルガン”はダイヤルを調整することで自身が設定しておいた感情になれるというもの。人間を人間足らしめているとする感情を、この世界の人々は機械を通して得るのだ。そしてこの“フォークト=カンプフ感情移入度検査法”とはアンドロイドと人間を区別するためのもので、刺激的な質問に対する表情や緊張具合の変化から判断するというもの。これはアンドロイドの外見がいかに人間と見分けがつかなくとも、感情がないという大前提がある限りそこで区別がつけられるという考えからきている。しかしデッカードはアンドロイドたちを追い続けていくうちに、人間としか思えないアンドロイドに出会っていく。果たして本当にアンドロイドは感情を持ちえないのか、後天的に獲得されるのではないかという問いをデッカードは抱いていく。そして彼はついに「…電気動物にも生命はある。たとえわずかな生命でも」という考えにいたるのだ。

本作では人間が機械的な感情の得方を、アンドロイドが人間と変わらない(本来の)感情の得方をしている部分が描かれており、人間とアンドロイドの境界線が曖昧になっていく。2045年にシンギュラリティが到来するといわれる今、本作は決して夢物語とは言い切れないところにあるのではないか。感情の分析が可能となり、数値化されるようになったら?それが機械で再現できるようになったら?そしてそれを機械が持ちはじめたら?果たしてそれは人間になりうるのか?そうした疑問をディックは我々に投げかけているのだ。