2019年11月11日 14時47分

後戻りできない進化の残酷さ

倉本梨紗子

カズオ・イシグロ 「わたしを離さないで」

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 主人公のキャシー、ルース、トミーが育つ全寮制の学校「ヘールシャム」。一見普通の学校と同じように勉強をしているのだが、「作品には魂が宿る」という方針のもと、絵や詩など様々な作品を制作することに力を入れていた。さらに違ったのは、ヘールシャムの子供達は、健康状態のチェックが厳しかったことである。それはヘールシャムで育つ子供達が臓器提供者として作られたクローン人間であるからだ。物語はキャシー目線の回想、ヘールシャムでの幼少期からヘールシャムを出てからの生活まで語られる。臓器提供という目的のためだけに生まれた彼ら。そんな中、「本当に心から愛し合っているカップルであれば、臓器提供の猶予期間が与えられる」という噂を耳にする。その噂は本当か。果たして、キャシー、ルース、トミーの三人の運命はどうなっていくのか。

 医学のためだけに生まれた存在のクローン人間。不治の病とされていた癌や運動ニューロン病や心臓病で助けられなかった命が、クローン人間によって助けられるようになった。その臓器が誰から提供されているのか、どうやって手に入れたのかどうかはレシピエントやその家族にはどうでもいいことなのだ。そしてクローン人間が存在しないということにはできない。治せると知ってしまった病気を、「クローン人間の存在は間違っている」と声をあげて、治せなかった時代に戻ろうとする人間など現れるはずがない。一度進んでしまった技術が、立ち止まり元に戻ることなどありえない。そして人間は、クローン人間が存在しているという事実から目を背けたくなってしまう。自分たちのやっていることが非人道的であると分かっていても、もう止まることはできなくなってしまうのだ。キャシー達、クローン人間は、提供者という運命に対して、逆らうことも、何か対策を取ろうとすることもない。臓器提供の日が決まるのをただただ待ち、毎日を淡々と過ごしていくだけである。

 この物語は読み終わった後、何とも言えない複雑な感情を残す。それはクローン人間であるキャシー目線でずっと描かれていること、登場人物のほとんどが臓器の提供を使命とするクローン人間であるということ。そして読んでいる私たちは、クローン人間を利用するかもしれない立場であり、彼らと確実な隔たりがあるということだ。臓器提供者になるという運命に逆らうという感情も持ち合わせず、臓器を提供する日を待っている彼らに、私たちは「可哀想」「残酷」という感情を持つことができない。むしろ持ってはいけないのではないかという感情になる。それは「クローン人間の存在は、君たちが望んだ進化の形だよね」と彼らに突きつけられている気がして、罪悪感が生まれてくるからだ。この作品のテーマである「人間の倫理観」と「後戻りできない進化」。そう遠くない未来に私たちはどう向き合っているのだろうか。