これは短編が集まっているもので、ここでは最初の話を書いていく。経験を共有でき、それによれによって一瞬で専門家を作り出せることは途中まで技術によって起こるディストピアがわかりやすい。現在でも起こっている過度な西洋文化重視の社会だ。ここではアメリカでこの技術が開発されたことでアメリカを基準に経験が埋め込まれていく。主人公はそれを日本的に調整する仕事をしているが、主人公自体は技術中心主義で、ディストピアを確かに表しているが最後の数ページで考え方が変わることが印象的だ。特に中盤では、自身の状態こそディストピアであり、なににも属さず、死ぬ寸前の言葉も現実を拒否することしかできない自分が判明するところが絶望、孤独さをよく表している。あまり言及されないが、自分は会社として理想的であるとともに、文化という基盤がないということが数値によって確信する、という描写にも数値でしか自分を判断できない、もしくは自分がコンピュータのようになってしまっていることにもディストピアを感じさせる。技術的経験を共有するはずが、それは文化の均質化につながり、最後には文化保存の可能性までたたみかけていく凝縮された話であると思う。話の途中に立体的うつされた明かりや、全自動車、空中に浮かび上がるパネル、出先で目視できる雨予報などそれほど遠くない技術の発展が描かれていることもリアルさを感じさせ、話に入り込みやすくさせていると思う。この技術によって民族運動を起こすものの、生活費などの理由から技術に協力してしまう者、主人公の孤独さに抗うために手段を選ばないことが人間のリアルさ、人間がどれだけ人間の頭に機械を埋め込まれようと、行動の原因は人の感情的であることを見せてくれるようで好ましかった。ここで考えされられるのは技術が流れ込むことによって起こる生活の均質化は、世界を1つにすることではないということだ。どんなに生活が同じでも、考え方には背後に文化という基盤がある。表面を整えても根っこは違う。対極的に描かれがちな技術と文化を、技術で文化を補完できると新しい視点を与えてくれたように思う。