2019年11月05日 14時35分

麻痺した人間の罪と罰の感覚

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伊藤計劃 「虐殺器官」

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 これは近未来テクノロジーが基盤を支える社会での戦争の物語だ。主題は生と死、罪と罰におかれ、文体もどことなくドストエフスキーの『罪と罰』を彷彿とさせる。

 ワールドトレードセンターのツインタワーに2機の飛行機が突っ込んだ9.11以降世界は一変した。先進諸国は科学技術を発展させ、テロ対策として全国民の個人情報管理を徹底させる。網膜認証や指紋認証、体内に埋め込まれたチップでのID認証。これらを行わなければ移動することはおろか、ピザをデリバリーすることもできない。全ての人の行動の履歴が追跡できるようになり、安定した先進諸国。一方で後進諸国では驚異的な速度で内戦や紛争が勃発する。米軍の特殊暗殺部隊に所属するクラヴィス・シェパード大尉は、命令に従い世界各国で大量虐殺を指揮している人物を始末していく中で、全ての虐殺を陰で扇動したと考えられる謎のアメリカ人、ジョン・ポールの存在に迫っていく。ジョン・ポールが後進諸国での多くの虐殺を誘引するために用いた「虐殺の器官」とは。なぜ彼は世界各国で内戦を勃発させるのか。

 この物語のテーマは罪と罰だ。クラヴィスが脳死状態にあった母の生命維持装置を止めたことに対する罪と罰。命令を受け女、子どもに限らず多くの敵兵士を殺害したことに対する罪と罰。ジョン・ポールが愛する人々のために世界各国で虐殺を扇動したことに対する罪と罰。そしてどの罪に対しても罰が与えられることはない。なぜならそれは高度な技術の発展によって、自らのあずかり知らぬところで行われたことのように感じているからだ。

 技術の発展は生と死の境界は極めて曖昧にする。戦場でのパフォーマンスを上げるためにクラヴィスは脳のマスキングを行い、痛みを知覚することはできるが感覚することはできないようになった。また医師は母が生きているのか死んでいるのか明確な説明は与えられなかった。そしてテクノロジーは人間から人間らしさをも奪った。最新の技術を搭載した装備を身にまとい、より効率的に敵兵を殺害するクラヴィスの行動に彼の意志はあったのだろうか。その罪は一体だれが背負うべきものなのだろうか。技術は人間を道具にする。そして人間から選択に対しての責任を奪う。

 クラヴィスは自分の犯した罪に対する罰、つまり赦しと救いを求めるが結局それが与えられることはない。我々は自らの罪と罰、自由に伴う責任の所在を明確に知る必要があると感じる。人間らしいとは、選択ができるということであると物語中でも語られていた。技術はあくまでも道具であり、我々は常に自らの選択のもとに人間らしさを維持していかなければならない。