『世界SF全集28 星新一作品100』のなかの「テレビシート加工 」という作品は、新技術と共に暮らす人間の感情や問題点がとても興味深い。
この物語の世界では、電子工学技術の発展によりテレビのブラウン管の厚さがどんどん薄くなっていく。このSF全集の発売は1969年であるから、少なくともそれより前に星新一はブラウン管の変化を予測している。 そしてこれはまだ実現されていないが、この物語の世界では紙よりもちょっと厚い程度のテレビシートなるものが開発される。この世界では、壁だけではなく、床や天井の一面、カーテンやカーペット、マンションの外壁自体もテレビシート加工なのである。しかし、このテレビシートには現代の私たちが見ているようなニュースやバラエティ番組が流れているのではなく、たくさんのチョウや寄せては返す波、同じ羽ばたきを繰り返すツルなどの図柄が継続的に流れる。もちろん音も聞こえてくる。驚くことには、スーパーマーケットに並ぶ全ての商品のラベルもテレビシート加工になっており、剥がして捨てるまで商品のコマーシャルなどが流れ続ける。星新一は、このラベルたちのテレビシートとしての働きを「自己主張 」と呼んでいる。確かにここまで来ると、しつこいものを感じるし、ラベル自体が「生命」を持っているようにも思えてきて末恐ろしい。
私が疑問に思ったのは、テレビシートで溢れたこの世界では凶悪な事件がないということだ。「まわりをたえず動くものでとりかこまれていると、殺伐な気分が押えられ 」るのだという。この物語の主人公は物語の最後で警察官に取り締まられるが、その理由は主人公の車の外側のテレビシートの図柄が動かなくなっているというものだった。警察官が言うにはテレビシートが動いていないと『見苦しく 』、『他人に嫌な感じを与える 』のだそうだ。これはどういうことか。テレビシート加工に溢れた時代にいない私には真相はわからない。しかし、予想してみると、周りのものがあまりにも動き続けていると酔ったような気分になり、楽しくなってくるのではないだろうか。テレビシートの故障という罪を犯した主人公は、何一つ動く画面のない留置場に入れられる。そうすると、体調が悪くなり、頭がおかしくなりそうになったのだ。このことから分かるのは、「動く」ということがこの世界の人にとってどれだけ重要なものであるかということだ。
このことは、現代の私たちにも共通するのではないだろうか。テレビシート加工は、お台場の「チームラボボーダーレス」を彷彿とさせる。実際に行ったとき、見渡す限りの壁やものの図柄が動き続けていて、初めは気持ち悪くなりそうだったが、徐々に楽しくなってきたのを覚えている。またその場にいる人々が子供に戻ったかのようにその空間を楽しんでいた。このように「動くもの」が身の回りに溢れれば、人々の幸福度が上がるのではないだろうか。そして、この物語のように、凶悪な事件も減るかもしれない。現代は、「プロジェクションマッピング」と呼ばれる、壁に映像を映し出す技術が盛んに利用されている。これらのことからテレビシートが実現され、人々がそれを必要不可欠なものと捉える未来もそう遠くないのではないだろうか。