上京してからというもの、バスにはまったくのご無沙汰だった。東京の交通網をもってすれば、大体のところへは電車で行けてしまう。吉祥寺へと向かう中央線がストップし、久しぶりのバスに乗ったその日、古本屋でたまたまこの本を見つけた。
『バスを待って』は、40代の女性作家・石田千が、独身の男性サラリーマンや61歳のおばあちゃん、高校生、はては幼稚園の女の子など、老若男女さまざまな登場人物の視点を軽やかに移動して紡ぐ20篇の短編集である。各人の生活の情景は、「バスに乗る」という一つの主題で結ばれている。人間くささのあるあたたかい筆致が、新学期で疲れた体に心地よい。
ある男は独身のまま壮年期を迎えた自分に嫌気がさして、またある女性は、自分の存在意義がわからずに。登場人物はあらゆる悩みをかかえてバスに乗り込んでいく。バスは、体を運びながら、忙殺された日常から心を連れ出す乗り物であるのだろうか、彼らは自分の生活を見つめ、ひと息つく。バスを降りた人たちは、少しだけ上を向いて、また元の日常へと戻っていく。
思えば、『となりのトトロ』でサツキとめいをトトロの不思議な世界に引き込んだのもねこバスだった。バスにはやはり、いつもと違う世界に連れていくメディアのような側面があるようだ。
読んでいるうちに、小学生の夏は海沿いの市民プールによくバスで行っていたことを思い出した。夏休み運賃の50円をポケットに入れて、行きはビーチボールを膨らませながら、帰りは売店のアイスクリームを舐めながら、運転席のすぐ後ろの背の高い席で揺られていた。
「つぎ、停まります」のボタンを押すのも、ささやかな楽しみだった。ぼうっとしているとだれかに先手を打たれてしまうので、降りるバス停が近づくといつも気を張っていた。うまく
今思うと、いい少年時代だったなあ。忘れていた情景が、私の中に戻ってきた。バスが子供時代の風景にふと私を連れ出してくれた。