最近、ある落語家の独演会を聞く機会があった。名人と称される初老の落語家が二席のみで終えたその独演会の二席目に演じたのが、『文七元結』だった。
腕は良いが博打好きで貧乏暮らしの左官・長兵衛。両親を案じた娘のお久は突然家出し、女郎屋へ身売りを持ちかける。女郎屋の使いに呼び出され慌てる長兵衛。見かねた女郎屋の女将は、二年以内に返さなければ預かったお久を店に出す、と告げて長兵衛に借金返済のための百両を渡すが、その帰り道、長兵衛は吾妻橋から身を投げようとする青年を見つけてしまい……、というこの人情噺の傑作は、落語としては長編であり、名人好みの難しい演目としても知られる。
いま「人情噺の傑作」などと書いたが、それは通り一遍の、世の中でそう言われている、という説明であって、落語をあまり観たことのない私も高座で演じられたこの噺に魅入り、少なからず感動もしたわけだが、こうして改めてあらすじを整理すると「いい話か?」と思う部分もある。若い娘が自堕落な親のために自分を犠牲にしようとする筋書は、現在では美談になりえないだろう。しかし同時に、この物語は江戸を舞台としていて、登場人物はその時代の規範に則って考え行動しているのだ、という想像の下にこの噺を聞くことが、私たちには可能だ。
さて、この『文七元結』は明治時代に初代三遊亭圓朝が創作した落語である。落語であるから当然、口頭で演じることを前提とした物語であり、私が先日独演会で観たものとはあらすじこそ同じであるものの、各場面の内容、特に笑いどころなどはほとんど別物である。青空文庫に収録されているこのテキストは、日本における速記者のパイオニアの一人である酒井昇造が圓朝本人の高座を速記により記録し、それを文字に起こしたものだ。ここには圓朝の声こそ不在だが、それでも精緻に書き起こされた文面から想起される名調子を、私は先日の落語会の記憶と重ね合わせつつ楽しむことができる。
このような落語や講談の口演の速記による記録は、日本に速記術が本格的に紹介された明治半ばより盛んに行われ、新聞への掲載のほか、多数の速記本が出版され人気を博したことが知られている。圓朝の速記本は二葉亭四迷が『浮雲』を著す際に参考にするなど、日本語における言文一致運動や口語体の普及に大きな影響を与えたという。
この話を知った時、私は今このようにして書いている日本語の文体の成立過程に、速記術という一種のテクノロジーが関係しているという事実に興奮を覚えたことを記憶している。速記の登場によって、人々ははじめて圓朝の落語を寄席で聞くようにして読んだのだ。私は、書き言葉と話し言葉がはっきりと分かたれていた頃のことを知らない。話し言葉を文字として読むという体験が、徐々に馴染んだものとなっていくその過程のことを、『文七元結』に登場する江戸の人々のことを想像するようにして、私は考えている。