「見つめるナベは煮えない」とは、『待っている時間は非常に長く感じられる』という意味である。私は、このことわざは本書におけるキーワードの一つだと思う。本書で何度か登場する、このことわざが関連する箇所をいくつか紹介する。
まず、何か考え事をしていて行き詰まった時、頭の中を整理するには、一旦そのことを考えるのをやめるのだ。ずっと鍋を見つめていても煮えない。忘れてまた少し後で見ると、早く煮えたように感じられるのだ。考え事もこれと同じだということである。アイデアを一度寝かせるのである。夜通し考えるのではなく、行き詰まったら寝て朝に後回しにすると、頭の中が整理されていて考えがまとまるのだ。この寝かせる期間は、一晩ということもあるが、何十年とかかることもある。さらに何年、何十年もの間、アイデアを寝かせておく方法、アイデアを発展させて広げる方法なども書いてある。
セレンディピティもこのことわざと関連していると言える。セレンディピティとは予想外に何かを発見することである。例えば、試験勉強をしなければならない時に部屋の片付けをしてしまうことがあるだろう。片付けをしていると、ずっと探していたものが見つかったりする、ということがセレンディピティだ。探し物をしよう、と思っていないことが良く作用している。ここで見つめるナベは煮えない、に当てはめることができる。自分の意識の真ん中にあることは、解決に向かわず、無意識のところで新たな発見が得られたりするのだ。対象を正視し続けることが自由な思考を妨げ、中心的関心よりも周辺的関心の方が活発に働く、と筆者は述べている。
アイデアを寝かせること、試験勉強の際のセレンディピティについて以上で述べた。詳しくいうと、二つの話と「見つめるナベは煮えない」についての関連性を紹介した。これらの関連性は、二つの例は日常生活に基づいた具体例であり、それを一つのことわざに当てはめていることだ。筆者はこれらのように具体的経験、知見をことわざなどの一般的命題に抽象化する、昇華することも大事だとしている。こうして思考を統率し体系をつくっていくのだという。
本書は一つの短い編が数十個集まったエッセイである。「見つめるナベは煮えない」は本書のキーワードのうちの一つであるとともに、私はこれにまつわる物事の整理や処理の仕方を知らず、新鮮に感じたので、このことわざをタイトルとして紹介したが他にもこれと関連しないことも多くかかれている。それらは一見するとただやり方を提示され、それを真似すればいいのように思える。しかし筆者はあとがきで本書について、『簡単に方法を教えるハウツーものではなく、そんな考え方もあるのかと、あたらしい型に触れてみるくらいの感覚でこの本を読んでいただきたい』と述べている。
本書は最初、当時(この本は1968年に出版されている)の学校教育がグライダー人間を大量生産する質のもので、飛行機人間は育たない、という話から始まる。これは学生をそれぞれの乗り物の性能に例えたもので、受動的に学ぶ学生がグライダー、自分で発明・発見する学生が飛行機だ。創造的思考を妨げる教育に対する考えを述べていた。最後の一編はコンピューターの話である。コンピューターが、人間の仕事を奪い始めているにもかかわらず、人間は危機を感じていない、のが筆者の主張だ。創造性こそが人間らしさであるという。私は筆者の思考の整理学をできる限り実践しようとしていたが、あとがきを読んで、本書は方法を教えるだけの類のものではないと気づき、私はまさに自分がグライダー人間なのではないかということにも気づかされた。そして筆者の一番の主張は未来では人間の創造性がいかに重要になるか、であると感じた。
思考の整理とは、自分の頭を整理し受動的ではなく能動的な考え方にするものだ。その整理の結果自分の頭で何か新しいことを思いつくことができる。これが創造である。先にも述べたように筆者は創造こそが人間らしさだと考えている。「思考の整理学」は筆者の主張を読者に伝えるとともに、この一連の流れを促すことで人間の創造性を豊かにする本である。