2019年05月07日 01時55分

自分を好きになるために

多田夏帆

久保友香 「「盛り」の誕生」

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 本書でなぜ顔を盛るのか?と問いかけられた現代の女の子たちは、「自分らしくあるため」と答えたという。私はその言葉の意味は「自分が好きな自分になる/いるため」、という意味で使われているのではないかと感じた。

 当書は、顔を加工する「盛り」の歴史を振り返る本である。ここでは「盛り」とは、日本の女の子の間で発達した、特殊なビジュアルコミュニケーションツールのことであるとされている。

 「盛り」は、90年代後半の渋谷で誕生した。当時の高校生たちが互いに見せ合っていた「プリ帳(=撮ったプリクラを敷き詰めたノート)」や自主開催していたイベントのパンフレットなど、自分たちで作った印刷メディアの上で「普段の自分よりも写りの良い自分」を共有したのが始まりとされる。00年代ではガラケーの普及に伴い、自撮り写真をブログで(=インターネット上で)公開する文化が培われた。またプリクラ機の技術向上により「デカ目」ブームが起こった。そして10年代、女の子たちの「盛り」の道具がスマートフォンに変わり、インスタグラムの流行とともに「盛り」は顔だけでなく全身、自分のいる背景にまで及ぶようになったという。

 プリ帳、ブログ、インスタグラムと発信する方法が変わっても、盛りを続ける女の子たち。そこに共通する感情は、実際より可愛い自分を、自分で自分に見せたいという思いだと感じる。

 様々な道具で加工された自分の顔は、もはや実際の自分の顔とはかけ離れていることも多い。しかし女の子たちはその乖離をマイナスに受け取ることはない。その理由は、実際の自分自身の顔を好きになれず、自画自賛することはできなくても、「盛れた」自分のことならちょっと好きになれて、自分で自分を褒めてあげることができるから、だと私は考える。女の子の多くは、自分の容姿に自信がないことがとても多い。そこで、自分をちょっと好きになるために、「盛り」を行うのだと思う。

 昔はプリ帳を見れば、今はインスタグラムを見れば、その人がどんな人であるか何となく分かる、と言われている。そこで、自分を含めた誰かに、自分が好きになれた自分を見せたい。自信はないけど、自分で自分を認めたいし、認めてもらいたい。そんな感情が、日本の女の子が「盛り」を発展させ続けてきた理由だと思った。技術の向上が、女の子たちの自己肯定感を上げる一旦を担っているのが興味深いなと感じた。