『東洋経済オンライン』編集長('12-'14)の佐々木紀彦氏が2013年に執筆した本書は、5年後のメディアをウェブと紙という視点から予見している。本書にとっての5年後とは2018年。つまり現在この問題を手に取るということは、ある種答え合わせのような意味合いがある。5年というメディアの歴史においては短いかもしれない時間の中で、当然の如く変化しなかったことは少なくない。紙媒体の売り上げ縮小と、増えるスマートフォンのスクリーンタイムやウェブ広告。これを軸にしながら、マスからパーソナルな存在へと変化するメディアに追いつこうと様々に各業界が試行錯誤しているのだろう。その中で求められていることとは、最も読者の需要に答えているもの、あるいは需要自体を生み出すものであろう。
私は雑誌について常日頃から考えを巡らせているのだが、思いがけず私の言葉を代弁してくれているかのような見解に出会うことができた。「雑誌はパッケージである」。私は雑誌がウェブ化してしまう未来にいかんせん納得ができなかった。雑誌を読むことは私にとって娯楽であったからだ。それはデザイン性や実用性を考慮しても紙でなければいけなかった。サクサク読めることよりも、限定されたページ数の中でレイアウトが踊っていたり文脈が成立していることが好きなのだ。ウェブだと雑誌であるべき背景が半減してしまう。佐々木氏は娯楽としての雑誌、ファッションやアートなど文化を取り上げる雑誌は売り上げが伸びることはないが、価値を高めて残り続けるであろうとしている。しかし、扱う事象がいわゆる「ビジネス」となると読者にとっての目的は何に値しているのだろうか。仕事のための情報収集だろうか、趣味だろうか、または呼吸のようになんとなく?私は経済誌は40-50代が読むものとして範疇に置いていなかったが、最近は触れる機会があり、専門的ではなく横断的なので理解しやすく面白いという発見があった。それ故に、必要な情報を提供する存在としての傍らで娯楽としても働き得る性質があると感じている。しかしそれは、コンテンツとしての面白さが引き起こすべきことでありデザイン(勿論関係はするが)の役割ではない。本書でも今後横断的に物事を組み合わせ新鮮で面白い記事が必要とされるため、編集者>記者だと述べられている。これは速報性とある意味で対をなしている。私は広義的に編集という営みに関心があるのだが、編集は論理的なアイデアであり、訓練することは難しそうである。しかしあらゆる環境で必要とされている人材として間違いなさそうだ。