私は小学生の頃から、webは「空間」だと捉えてきた。何か情報を得るためには、web上のその空間に「アクセス」しなければいけなかったからというのもあるし、紙や映像のような媒体ではサイズや尺の制限を受けてしまうところを、webはその制限を一切受けずになんでも表現することができる媒体だと思っていたからだ。
しかし最近は普段webを使っている中では、そんなことを思う機会も少なくなってきた。スマートフォンという小さい画面でwebを見ることが多くなり、個人や企業のホームページよりSNSやメディアサイトが増えていったからだろうか。webに空間性が失われてきたように感じる。
ただ私自身あまりこの論に自信がなく、そもそもwebが「空間」だと捉えていたのはこの世で私だけなのではないかという疑問もあり、この不安を解消するために今回選んだ本がこの本だ。ここに書かれていたのは
【インターネットを代表とする現代の情報通信技術は、空間的な距離、隔たりが持つ意味を極限まで小さくしつつある。】
【にも関わらず私たちは、インターネット上の様々な対象や、それらに対して私たち自身が行う行為を、空間的なメタファーで記述している。】
ということ。空間的なメタファーというのは、例えば「〜のサイトに行く」「アドレス」といった表現のことを指す。確かにこの表現は今も昔も変わらず使い続けられている。特に昔は、「Yahoo!ジオシティーズ」のようなホームページ作成サービスがあって、それこそユーザーは「アドレス(=住所)」をwebの世界の中に借りている感覚だったと思う。今でこそこのメタファーが形骸化されている側面も大きいが、Wordの保存アイコンが未だにフロッピーディスクだったり、電話のアイコンが未だに固定電話の受話器だったりするのと同じだ。やはり、webが空間だったと感じた私の憶測は間違っていなかった。
では今のwebはどうして空間性が失われていると感じるのか?それもこの本が一つの道筋を示してくれた。それが「タイムライン」という言葉だ。時間軸を基準に情報を秩序づけるこの概念は、昔のwebの世界には確かになかった。過去からの蓄積を含めて、空間や階層構造の中に位置付けるだけでは収まりきれない情報量が世界に溢れるようになったのだ。空間的な情報概念はこうして衰退していった。
私は空間性の濃かった時代のwebが好きだった。個人が自分のホームページを立てて、行き来しあって、「足跡」や「掲示板」「チャットルーム」でコミュニケーションをとっていた時代。webの空間性を取り戻したいと思ってしまうのはただの懐古主義なのかもしれない。だが、webVR、webXRといったWebブラウザで動作するVRのための技術が登場している今、もう一度webの空間性を再考してもいいのではないだろうか。