2018年12月21日 11時46分

異星人の到来と人類の未来

鴨川 春子

アーサー・C. クラーク 「幼年期の終わり」

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SF作品と聞いてまず初めに思い浮かんだのがアーサー・C・クラークの『幼年期の終わり』だった。この本は、私が中学生の時に当日の担任の先生に勧められて読んだことがあったが、SF文学など少しも興味の無かった私を夢中にさせるほど、魅力的かつ、哲学的な作品だったことは覚えている。本の内容は覚えていたが、当時味わった感動をもう一度味わいたいと思い、再読することに決めた。家の本棚を漁ったところ、まだまだ綺麗な状態で見つかった。

 『幼年期の終わり』は、映画「2001年宇宙の旅」の原案になっている。ストーリーを読んでいる時は古い作品だということを全く感じさせないが、作品が作られたのは1953年と、かなり古い作品になっている。

 舞台は核戦争を目前に控えた20世紀後半の地球。ある日突如上空に一つの宇宙船が出現する。そこで登場するのが、人間よりもはるかに高い知能と技術を兼ね備えた宇宙人、「オーバーロード」である。人間から全ての権力を取り上げ、彼らは地球の管理を始める。オーバーロードの統率により、地球は平和な方向へと導かれて行く。オーバーロードのおかげで人類は平和で満ち足りた生活を手にした。しかしそれは一方でオーバーロードが全てを把握しているならもはやそれ以上努力して何か成し遂げようとはしない、誰もが探究心を失った世界だった。最終章の3章では、青年ロドリクスによって彼らの本当の姿が明らかになる。オーバーロードはそのさらに上にいるオーバーマインドという超自然的な科学の最終形態のしもべであり、人間をオーバーマインドの領域へと導く使命を抱えていたのだ。

 この作品において、技術描写が優れていると感じた点は、異星人の到来というSF作品にはありがちな描写が出てくるものの、異星人との関わり方が非常にリアリティを感じさせるところである。この物語の宇宙人は地球を侵略するわけでもなく、むしろ良い方向に導いていく。この構図は人間と科学技術にも似ているところがある。科学技術は我々を良い方向へと導いてくれ、科学技術が発展し尽くしてしまえば、物語に出てくる、争いが消えたユートピアが実現するかもしれない。しかし、そのような事態が本当に人類にとって良いことなのか、科学技術に頼りきりで思考停止に陥った人類は果たして幸せなのか、それによって次はどのような問題が生じてくるか、果たしてそれは問題なのか、そういった沢山の問いを本作品は問いかけてくれる。1953年時点でここまで地球の未来について考えていたクラークには圧倒されるばかりである。

#デザインフィクション演習