2018年12月21日 11時30分

長距離通勤時代

佐々木 霞

星新一 「マイ国家・ひとにぎりの未来」

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 私はこれまで、まともにSF作品に触れたことがなく、なんとなく難しそうでとっつきにくそうなイメージがあった。そこでまずインターネットで、おすすめのSF作品を紹介している複数のサイトを閲覧し、それらの中でも〝SFの入門作としてこれほど最適な作家はいない〟〝一般書でありながら子供でも読める明快さと奥深さを兼ね備えたブラックユーモア〟という紹介文に惹かれ、この作品を手に取った。

 人間が眠ったままベッドから「お棺」という愛称で呼ばれている箱に入れられ、自宅から自動的にバス停留所まで移動する。「お棺」は、やってくるバスにより各停留所で集積され、駅へと向かい、到着した通勤電車へとコンテナのように積み込まれ、そのまま都会の職場まで片道4時間の通勤をするという物語である。会社へ向かう電車内で、人々は「お棺」からワイシャツを取り出し身支度を整え、車内販売の朝食を取り、新聞を見たり朝の一服をやる。自宅へと向かう帰路の車内のつくりは朝のそれとは打って変わり、映画を見物できる車両やスポーツ用具を取り揃えた車両、パチンコ、碁、将棋、麻雀などの車両にバーやキャバレーの車両まであり、人々は仕事先での疲れを癒したり鬱憤を晴らしているのだ。

郊外がベッドタウン化し、人々の職場が首都圏に集中している時代にピッタリと即したどこか皮肉のような作品である。しかしその長い通勤時間をいかに豊かに過ごすことができるかを追求しているという点で、ただの揶揄にとどまっておらず面白いと感じた。物語の終盤に、帰宅途中の電車のバーで主人公のエヌ氏と隣の席の人とのこんな会話の場面が描かれている。

「このごろふと考えるんですがね、なぜわれわれは、遠い都会まで通勤しなければならないんでしょう」

「おや、これはまた、えらく根本的な問題を考えておいでですな。この長距離通勤が苦痛ですか。家が会社のすぐそばにあったほうがいいとでも……」

「いや、べつに。苦痛とも思いません。この帰り道など楽しい気分だし、

会社のとなりに自宅があるより、ずっといいと思いますよ」

「それならいいじゃありませんか」

「そういえばそうですね……」

この会話からも読み取れるように、誰もがしんどいとは思っているけれども、それと同時に人々はそれは仕方のないことであるのだと長時間通勤を受け入れている。星の、長距離通勤の事実は仕方のないことだからそれを受け入れた上で、その通勤時間をもっと有意義に過ごすことができる方法を見出せばいいというアプローチは素晴らしいと思う。特に、現代の満員電車ですし詰め状態になり死んだ魚のような目をして通勤している会社員の姿に比べれば、通勤電車は「ロマン」とでも呼べるものなのではないだろうか。

#デザインフィクション演習