2018年12月21日 08時21分

篠田節子「操作手」について

小野紘史

日本SF作家クラブ 「日本SF短篇50 4」

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数年前、近所の本屋さんにて見つけた。目立つコーナーにあった目立つ表紙のこの本を立ち読みしてみると面白かったのでそのまま購入。何度か読んで寝かせてあったが、今回の課題のために再び読んだ。

設定は現代。主な登場人物は妙子と須磨子、慎一、絵里、そして介護補助ロボットの「操作手」(マニピュレーター)。物語は妙子(43歳。慎一の妻であり、絵里の母。須磨子は妙子の姑にあたる。)と須磨子(74歳。慎一の母。8年前に倒れて以来、周りの家族による介護が必要。)の2人の視点から語られる。

妙子たちは長年の介護疲れから、ヘルパーの受注や外部への委託を考えていたものの、様々な理由から実現することがなかった。ある日、妙子が腰に怪我をしたことがきっかけで、慎一の会社が生産した「操作手」を実験的に受け入れたことから物語は始まる。「操作手」の機能は事前のプログラムによって人間の人間による介護を”補助”することが目的で、人の感情を理解するような設定はなかった。しかし、徐々に須磨子と感情によるコミュニケーションを交わしているかのような不可解な現象の数々が起きるのだった。

この物語が描く、人とロボットの「親和性」が以下の観点から優れている。

第一に話者の視点だ。物語は妙子、須磨子、そして「神の視点」から語られる。第三者視点の「神の視点」描写が中立性を保ち、出来事を淡々と語っているのに対し、妙子と須磨子両者の視点とも感情のフィルターが通して、過去や現在の出来事が語られる。具体的には両者とも他方を「敵視」する視点だ。妙子は長年、姑の介護をしていて疲弊しており、須磨子の世話をしなくていい日が来るのを心の奥底では期待している。(慎一や絵里も程度の差はあれ、妙子と同じ立場にいる。)一方で、須磨子への介護に自分たちはベストを尽くし続けていると考えている。他方、須磨子はこれまで慎一を苦労して育て、妙子や絵里の面倒も見てきたことへの自負があり、家族にお世話されることを求めている。しかし、その介護の質が須磨子に寄り添うものではなく、薄情だと思って強い不満を抱いている。

第二にロボットの描写だ。前述の話者の視点の延長戦で、それぞれの眼に映る「操作手」の”姿”は正反対だ。妙子側からすれば、ロボットの登場で介護の手間が省けて楽になったものの、本質的にはロボットは無機質なものだと解釈している。しかし須磨子側からすれば、初期の頃は慣れなかったもののロボットがいつも自身に注意を払い、介護してくれることに喜びを見出していた。ゆえにいつからか家族とロボットを対比し始め、「家族が無機質でロボットこそ人間味がある」と感じるようになった。結果、はたから見たらただの機械に愛情を感じている。「操作手」には人の感情を勘定する機能が付いていないことを知っている家族にとって、その様子は到底理解できるものではなく、「ボケた」の一言で片付けられてしまうこととなる。

端的に人の「しごと」を介助するロボットによる人への反乱や、人とロボットが心を通わすことのどちらかを描く作品はこの世に溢れているが、この作品では「神の視点」から淡々と現状を追い、立場の異なる2人の登場人物の視点から現象を2通りに解釈しようと試みている。SF内での「親和性」の可能性に挑戦した点で優れている。

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