2018年12月20日 01時09分

社会における善と悪とは

ペレーラ世菜莉

村田沙耶香 「殺人出産」

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 私が村田沙耶香さんの作品と出会ったきっかけは、詩人の伊藤比呂美さんのジェンダーの授業で「なぜ結婚は2人でなければならないのか」について議論をしたとき、村田さんの『殺人出産』の中の「トリプル」という短編小説の話が出たことだった。それまで私は、結婚は2人でするものだ、といったような誰が作ったのかもわからない「常識」をありのまま受け入れて生きてきたため、この話が上がったときは、そんな考え方はタブーなのではないか、と思った。しかし村田さんは、何をもってそれがタブーとされるのかを我々に問いかけているのである。特に「殺人出産」という作品は、生と死の価値観が180度変わり、殺人が許されたり出産が刑罰として存在したりする世界の話である。現代社会ではありえないように思えることが見方を変えれば正しいこととなり、むしろ今の社会が間違っているのではないかと疑ってしまう、SFのようで非常に現実を帯びた作品であったので、今回取り上げることにした。

 主人公の育子の住む世界には、少子化対策としてつくられた、10人産むと1人殺すことにできる「殺人出産システム」が存在する。育子の姉も、幼い頃から内に秘めていた無差別な殺意のために、10代の頃から「産み人」となってようやく10人目の命を宿した。育子の働く会社では、産み人になるために退職した上司の代わりに早紀子という派遣社員が配属された。なぜか早紀子は育子が今まで誰にも打ち明けることのなかった産み人の姉の存在を知っており、社会の犠牲者である姉に会わせてほしいと育子に近づく。結局早紀子を姉の入院している病院へと連れていくことにしたが、姉の気持ちは変わることなく、むしろ過去に取り残された早紀子をかわいそうだと言い、ついに10人目の出産を迎えた姉は、早紀子を「死に人」に選んだ。姉の殺人に立ち会った育子が目にしたのは、生前に早紀子が望んでいた、ちゃんと正しく恋愛して宿した胎児であった。育子はこの胎児のためにも産み人として命を生み続けることを誓い、胎児を握りしめて潰した。

 この作品の優れている点は、現実には起こることないといえるようで、実は現代社会の特徴をしっかり捉えているところである。「産み人」というのはいわば殺人犯である。しかし殺人の原動力を出産へと代替することで世に多くの命を残したものとして讃えられ、その殺人は正しいこととみなされているのである。殺人が絶対的に許されることのない「常識」の中で生きる我々にとってみれば、殺人が肯定される世界など信じられない。しかし、現代社会においても死刑制度が存在することを考えてみれば、何も言葉が出なくなるのではないだろうか。さらにこの作品の世界では、死刑の代わりに人工子宮によって一生子供を生み続けさせる「産刑」というものが存在し、死というものをより生産性のあるものにしようとしている。なんと皮肉なことであろうか。「殺人出産」は、社会は我々に悪は悪であると教えるがそれが時には正義にもなりうるという矛盾や、無駄なものを排除し生産性のあるものだけを残していくという、効率的でありかつ無機質なものへと変化していく社会、そしてメディアが「正しい」と言ったことを全て鵜呑みにして何も疑うことなく社会に染まっていき、マジョリティにすがりつき声を上げる者をないがしろにする我々国民に対する警告であるように思える。

 

#デザインフィクション演習